第二十九段

原文

静かに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞ、せんかたなき。

人しづまりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、「残し置かじ」と思ふ反古など、破り捨つる中に、亡き人の手習ひ、絵描きすさびたる、見出でたるこそ、ただその折の心地すれ。

このごろある人の文だに、久しくなりて、「いかなる折、いつの年なりけん」と思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくて、変らず久しき。いとかなし。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-04-08

静かに物思いに耽ると、過去の様々なことが無性に恋しくなり、どうしようもない。

人々が寝静まった後、長い夜の退屈を紛らわすために、雑多な道具を整理し、処分を決めた古い書類などを破り捨てる。その中から故人の筆跡や描き捨てた絵を発見した際は、当時のことがありありと思い出される。

存命中の人物の手紙であっても、時間が経過し、「これはいつ、どんな状況で書かれたものだったか」などと当時のことを思い返すと感慨深い。使い慣れた道具類が、道具には意思も心もなく、当時のまま残っている。とても物悲しい気持ちになる。

コメント

過去のことをしみじみと思い返すことに対する複雑な感情を書き残した段です。過去のことに関しては、第十四段第二十二段第二十三段などでも述べられていますが、これらの段は過去の芸術や移り変わる風俗や慣習について述べたものであって、少し新しい視点が出てきていると思います。

現代のマインドフルネスの手法などでは、過去や未来に囚われず「いま、ここ」に集中することの重要性が述べられています。その教えを愚直に守るのであれば、この段の内容は過去のことを思い起こすことの心の動きについて述べているのであまり褒められたものではないという見方もできますが、たまに、折に触れて思い起こして感慨に耽るというのも悪くはないでしょう。

兼好法師が述べている通り、故人や久しく会っていない人が書いた(描いた)ものや、昔の道具を見つけた際は何とも言えない感慨深い気持ちになるものです。私も、実家の整理をしている中で亡き家族の日記や愛用していた道具を見つけた際にはそのような気持ちになった経験があります。

兼好法師は第十八段にて「身の回りを整理して、自分に必要なものだけを持つ」ことが良いとしています。この段でも、その考え方に従ってか、「『残し置かじ』と思ふ反古など、破り捨つる中に」とある通り、この段の内容は過去の書類を整理、処分していた中で起こったことを述べているのだと思われます。最近は身の回りの整理も外注してお金で解決することもできる時代になりました。しかし肉親が残したものの整理などは自分で行い、昔の思い出に耽ってみるのも悪くないかもしれません。