第二十二段
原文
何事も古き世のみぞしたはしき。今様(いまやう)は無下にいやしくこそ、なりゆくめれ。
かの木の道の匠(たくみ)の作れる、美しき器物(うつはもの)も、古代の姿こそ、をかしと見ゆれ。
文の詞(ことば)などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただ言ふ言葉も、口惜しうこそなりもてゆくなれ。「いにしへは、『車もたげよ』、『火かかげよ』とこそ言ひしを、今様の人は、『もてあげよ』、『かきあげよ』と言ふ。『主殿寮人、人数だて』と言ふべきを、『たちあかし、しろくせよ』と言ひ、最勝講御聴聞所なるをば、『ごかうのろ』とこそ言ふを、『かうろ』と言ふ。口惜し」とぞ、古き人は仰せられし。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-03-22)
何事においても、古い時代のことが慕わしく感じられる。今の世のやり方は、ひたすら俗っぽく劣化していくようである。
あの木細工の職人が作る美しい器物についても、古い時代の形式こそが趣深いと感じられる。
手紙の言葉遣いなどは、昔の書き損じの反故(ほご)にこそ優れたものがある。日常の話し言葉も、残念なことに次第に乱れてきている。「昔は『車もたげよ(車を持ち上げよ)』『火かかげよ(灯火を明るくせよ)』と言ったものを、今の人は『もてあげよ』『かきあげよ』と言う。また(宮中の儀式で)『主殿寮人(しゅでんりょうにん)、人数だて(列に並べ)』と言うべきところを、『たちあかし、しろくせよ(松明を灯して明るくせよ)』と言い、最勝講(さいしょうこう)の御聴聞所(ごちょうもんじょ)を『ごかうのろ』と言っていたのを、今は『かうろ』と略して言う。情けないことだ」と、年配の人(古老)はおっしゃっていた。
コメント
第二十一段は既出の段の内容の繰り返しでしたが、こちらの段も既出の第十四段で述べられたことの繰り返しのように思います。
昔はよかった、今は色々と変わってきてしまっている。長く世の中を生きていると、自分の青春時代に経験したことこそが正しく、自分とは世代の違う若者のことは疎ましく思うようになるものなのかもしれませんね。それに加えて平安時代から続く歴史的な伝統にも少し触れているあたり、自分自身が感じる時代の流れと、遥か昔から続く伝統の変容、このあたりに少し思うところがあるというような言い方で兼好法師は書いているのではないかと思います。
現代では「懐古厨」「老害」にならないようにしよう、新しいことを取り入れようという風潮が蔓延しているように思いますが、一方で兼好法師は自分の感情に素直に、昔のほうが良かったという気持ちを隠していないのは興味深いと思います。何かの形で、伝統を残そうとした人の想いを残しておきたかったのかもしれません。