第九十七段

原文

その物に付きて、その物を費(つひや)し、損(そこな)ふ物、数を知らずあり。身に虱(しらみ)あり。家に鼠あり。国に賊あり小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-09-07

あるものに付随して、そのものを費やし、損なうものは、数え切れないほどある。身体には虱がいる。家には鼠がいる。国には賊がいる。小人には財産がある(財に振り回される)。君子には仁義がある(仁義に縛られる)。僧には仏法がある(戒律に縛られる)。

コメント

様々な物事には、それに何らかの形で付随してマイナスの影響を与えるものがあるという内容です。短いですが、非常に含蓄のある内容のように感じます。

身体には虱、家には鼠、国には賊。ここまでは特に驚くところは無いと思うのですが、その次に、小人には財産、君子には仁義、僧には仏法、と続きます。このあたりで非常にハッとさせられます。人にとっての財産、君子にとっての仁義、僧にとっての仏法はいわば「必要なもの」「生業(なりわい)」です。しかし兼好法師はそれを「そのものを費し、損ふ物」と喝破します。

自身の立場や状況において、精神的に拠り所にしている要素は、実はマイナスの影響を与えているのではないか、ということです。兼好法師は自分自身も僧であり、自分も仏法に縛られているのだ、というどこか自虐的な主張も感じられます。

第三十八段で述べられたような、「何も持たない人間」が真の人間であり、何かを拠り所にして生きている人はまだまだ修行が足りない、ということなのでしょう。その境地に辿り着きたいものですが、しかし兼好法師もその境地に辿り着けたのか、気になりますね。