第八十八段
原文
ある者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮けることには侍らじなれども、四条大納言撰ばれたるものを、道風書かんこと、時代やたがひ侍らん。おぼつかなくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にありがたきものには侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵(ひさう)しけり。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-08-30)
ある者が、小野道風(おののとうふう、平安時代の能書家。三蹟の一人)が書いたという和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう、藤原公任が編んだ和歌・漢詩の朗詠集)を持っていたところ、ある人が、「あなたの家に代々伝わったものが、根拠のない出鱈目だとは申しませんが、四条大納言(しじょうのだいなごん、藤原公任のこと)が撰ばれたものを道風が書くというのは、年代が食い違ってはいませんか。どうも腑に落ちません」と言ったところ、持ち主は「そうおっしゃる、まさにそれゆえにこそ、世にまたとない貴重な品なのです」と言って、ますます秘蔵(ひさう、大切にしまっておくこと)したのだった。
コメント
矛盾を指摘されても、持ち主は「だからこそ貴重なのだ」と開き直ってしまう、なんとも筋が通らないことを言う人のエピソードです。四条大納言(藤原公任)が編纂した和漢朗詠集を、それより前の時代の人物である小野道風が書いたというのはおかしい。しかし持ち主は、その矛盾こそが「珍しさ」の証だと解釈し、むしろ愛着を深めてしまいます。
第七十三段でも虚言が流布されるというエピソードが語られるように、時代的にまだ事実を元に理屈を通して物事を考えるということ自体が全ての人々の間で共通認識になっていたわけではなかったのかもしれませんが、兼好法師はこの「持ち主」の滑稽さを見抜いて、一種の笑い話として書き留めたのだと思われます。
こういった「事実よりも自分の考えを優先する」という現象自体は、現代でも見られます。確実な事実を押さえて、そこから一つ一つ自分の考えや意見を積み上げていく。こういった基本的な論理構造を用いて考えることができない人は結構多いです。どこかで事実を離れて、自分の考えを根拠にして理屈を組み立ててしまうのですね。何事も、事実をベースに物事を考えたいところです。