第九段

原文

女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。人のほど・心ばへは、もの言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。

ことにふれて、うちあるさまにも、人の心を惑はし、すべて女の、うちとけたる寝(い)も寝(ね)ず、「身を惜し」とも思ひたらず、耐ゆべくもあらぬわざにもよく耐へ忍ぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。

まことに、愛着の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、ただかの惑ひの、一つ止めがたきのみぞ、老たるも若きも、智あるも愚なるも、変る所なしと見ゆる。

されば、女の髪筋(かみすぢ)をよれる綱には、大象もよく繋がれ、女の履ける足駄(あしだ)にて作れる笛には、秋の鹿、必ず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。

みづから戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑ひなり。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-02-17

女は髪が美しいことで、人の目を引くもののようだ。その人の身分や性格は、言葉を交わす様子からも、物越し(御簾や几帳越し)であっても自然と分かる。

女は折に触れて、ふとした様子でも男の心を惑わす。女が、ゆっくりと眠りもせず、自分の身を大切にすることもなく、到底耐えられそうにないことによく耐え忍ぶのは、ただ男性を求める恋慕の情のためである。

本当に、男女の愛着の道は、その根が深く、起源も遠い。六塵(五感と意識)の欲望は多いが、それらの欲望はすべて遠ざけることができるだろう。しかし、その中でただこの「恋の迷い」一つだけは断ちがたく、老人であっても若者であっても、知者であっても愚者であっても、変わりがないように見える。

それゆえ、「女の髪の毛を縒り合わせた綱には、巨大な象も繋ぎ留められる」「女の履く足駄(下駄)で作った笛には、秋の鹿が必ず寄ってくる」などと言い伝えられている。

自ら戒めて、恐れ、慎まなければならないのは、この色欲の迷いである。

コメント

前段である第八段に引き続いて、異性の魅力の誘惑、その危険性について述べています。人は皆、男性であっても女性であっても、様々な欲望の制御はできたとしても、異性の誘惑だけは断つことが難しい。

兼好法師は男性ですから、「女性は折に触れてふとした様子でも男の心を惑わす」など、男性から見た女性の魅力に関する記述が前段から引き続きよく見られます。私も男性ですから兼好法師のおっしゃる「女性に誘惑される男性」の気持ちはよく分かりますし、昔からこの構図には全く変わりがないのだなと、古の時代から続く風習に感じ入る思いです。

一方で女性にとっても、男性から受ける誘惑というのは当然あるのだと思います。「女が、ゆっくりと眠りもせず、自分の身を大切にすることもなく、到底耐えられそうにないことによく耐え忍ぶのは、ただ男性を求める恋慕の情のため」という部分について考えてみると、いわゆる「尽くす女性」というのは昔から存在し、それは男性を想う気持ちから産まれるのだと兼好法師は看破しているのだと思います。正直、男性である私にはピンとこないところもあるのですが、女性というものは男性に惚れると「その人のためなら到底想像もつかないことも耐え忍ぶことができる」ような精神状態になるのでしょうか。

だとするとDV夫からの暴力を耐え忍んでしまう女性や、ホストに異常なまでの金額を貢いでしまう女性などといった現象がなぜ発生するのか、というメカニズムの説明が付くところもあると思うのですが、そのメカニズムを男性の目線から看破した兼好法師の慧眼には恐れ入るばかりです。

そして女性の皆様は、まさに「恋は盲目」になってしまうということのようなので、悪い男性に入れ込んでしまわないように十分に注意されるべきであるということになるのだと思います。