第八十六段
原文
惟継中納言は、風月の才に富める人なり。
一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文
保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊(ごばう)をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。
いみじき秀句なりけり。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-08-28)
惟継中納言(これつぐのちゅうなごん)は、風月(自然の風雅を愛でる才)に富んだ人である。
一生を精進(肉食を断ち、仏道修行に励むこと)で過ごし、読経をして、寺法師の円伊僧正と同宿していたが、文保(1317~1319年の年号)の頃に三井寺が焼かれたとき、その坊主に会って、「あなたのことは今まで寺法師と申し上げてきましたが、寺がなくなった今となっては、これからは法師と申しましょう」と言われた。
実に見事な秀句であった。
コメント
三井寺の火災があった際に、普段、「寺法師」と呼んでいた相手に対して「もう寺がなくなったので、これからは単に法師と呼びますね」とユーモアのあるジョークを投げかけた惟継中納言の逸話です。ちなみに三井寺は当時、比叡山延暦寺との宗派対立によって何度も焼き討ちされていたようで、深刻な中にも「また焼けてしまいましたね」とどこか諦めに似たシュールな雰囲気があったのかもしれないと想像すると、よりユーモアが際立ちます。
日本人はユーモアが無い、ジョークが苦手だと評されることがあります。ユーモアのある言葉やジョークを発することも苦手だと思いますが、ちょっとした政治家のジョークを真に受けて批判を浴びせるなど、実は結構「受け手側」にも課題があるように個人的には感じます。
兼好法師のように、ユーモアのある発言をユーモアと認識して面白がれるような余裕を持ちたいものですね。