第八十一段

原文

屏風・障子などの絵も文字も、かたくななる筆やうして書きたるが、見にくきよりも、宿の主(あるじ)のつたなく思ゆるなり。

おほかた、持てる調度にても、心劣りせらるることはありぬべし。さのみ良き物を持つべしとにもあらず。「損ぜざらんため」とて、品(しな)なく見にくきさまにしなし、「珍しからん」とて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好みなせるを言ふなり。

古めかしきやうにて、いたくことことしからず、費えもなくて、物がらの良きがよきなり。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-08-23

屏風・障子などの絵や文字も、洗練されていない筆遣いで書いてあるのが、見苦しいというよりも、その家の主人の人柄が拙く思われるのである。

だいたい、持っている調度品によっても、見る人の心を幻滅させてしまうことはあるに違いない。そうかといって、むやみに良い物を持つべきだというわけでもない。「品物を傷めないようにするため」と思うあまり、品位なく見苦しい様子にしてしまったり、「珍しいものにしよう」と思うあまり、不要なことをあれこれ付け加え、わずらわしく凝りすぎたりしているのを見苦しいと言うのである。

古くから見慣れた様子であって、ひどく仰々しくなく、費用もかからず、品質(材質・作り)の良いのが良いのである。

コメント

後の世の「わびさび」に通じるような、華美なもの、珍奇なものでなく、素朴で安価であっても品質の良いものが良いのだ、という主張を兼好法師は行っているようです。

兼好法師は第十段にて、「良き人の住まいとは、自然に任せた風で、昔ながらの調度品がその住居と一体化しているように在るものだ」と言っていて、反対に「珍しく立派な調度品を並べ立て、庭の草木まで人工的に手入れしてあるような住居は、見るに堪えない」とも言っています。この段の内容は、第十段の内容をほぼ繰り返しているとも言えますね。