第七十九段
原文
何ごとも入りたたぬさましたるぞよき。
よき人は、知りたることとて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、よろづの道に心得たるよしの、さしいらへはすれ。
されば、世に恥づかしきかたもあれど、みづからも、「いみじ」と思へる気色(けしき)、かたくななり。
よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-08-21)
何事についても深入りしない様子であるのがよい。
教養のある人は、知っていることだからといって、得意気に色々話したりはしないものだ。片田舎から出てきたような人に限って、あらゆる方面に精通しているといった態度で、受け答えをするものだ。
だから、世間から見れば恥ずかしく思われる面もあるが、当人自身も、「たいしたものだ」と思っている様子が、見苦しいのである。
よくわきまえている道については、必ず口が重く、尋ねられない限りは言わないことこそ、立派なのである。
コメント
第七十七段、第七十八段に続き、様々な話題に関してどのように振舞えばよいかということを述べた段です。前段までは「こういう態度は良くない」という内容でしたが、この段では「何事にも深入りしないのが良い」と、こうすべきという内容を述べています。
物事をよく知らない人ほど、知ったかぶりをしてよく話すものである。一方で、「よき人」は、得意気に様々なことを喋るわけではない。物事を良く知っていることに関しては、「よき人」のように、尋ねられない限りは喋らないのがよい、と述べています。
これは兼好法師の美学によるものでしょう。何でもかんでも、知っているからといってべらべらと節操なく喋るのではなく、何事にも一歩引いて、話の中心から外れたところに居るのが良い。そういう態度が慎ましく見えて良いということでしょうね。
恐らく、人間は知っていることに関しては色々と話してしまう性質があるのでしょう。よく知っている事柄に関しては、つい喋りすぎて、周囲との会話のバランスが崩れてしまうかもしれない。詳しい物事に関する話題こそ、「聞かれるまで答えない」という態度ぐらいでいるほうが、周囲からすればちょうどいい塩梅になるということなのかもしれません。
もう少し付け加えるのであれば、第五段や第三十八段で書かれているように、隠棲を続けるにあたってあまり周囲から頼りにされないよう、無能な人間だと思われておいたほうが得策だと兼好法師は考えていた、という側面もあったのではないかと推測します。様々な物事に精通している風だと、周囲から依頼が絶えず、いつまで経っても第七十五段で書かれているような「俗世から離れた生活」ができなくなってしまいますからね。