第七十四段

原文

蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ、南北に走(わし)る。高きあり、賤きあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰家あり。夕に寝(い)ねて、朝に起く。いとなむところ、何ごとぞや。生(しやう)をむさぼり、利を求めて、やむ時なし。

身を養ひて、何ごとをか待つ。期(ご)するところ、ただ老と死とにあり。その来たること、すみやかにして、念々の間にとどまらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者はこれを恐れず。名利(みやうり)におぼれて、先途(せんど)の近きことをかへりみねばなり。愚かなる人は、またこれを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化(へんげ)の理(ことわり)を知らねばなり。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-08-16

蟻のように人々が集まって、東西へと急ぎ、南北へと走る。身分の高い者もあり、賤しい者もある。老いた者もあり、若い者もある。行く所がある者もあり、帰る家がある者もある。夕方に眠りにつき、朝に起きる。人々が営んでいることは、いったい何であろうか。生をむさぼり、利益を求めて、やむ時がない。

身を養って、何を待とうというのか。最終的に待っているものは、ただ老いと死とだけである。老いと死の訪れは速やかで、一瞬たりともとどまることがない。これを待つ間に、何の楽しみがあろうか。世の中の様々な事柄に惑っている者はこれを恐れない。名声や利益に溺れて、死期が近づいていることを顧みないからである。愚かな人は、またこれを悲しむ。この世が永遠であろうと思って、世の中は移り変わってゆくという道理を知らないからである。

コメント

第四十一段第四十九段第五十九段などと同様、生死、無常観について書いた段です。

世の中の人々を観察すると、様々な人が、生きている間の利益を求めて奔走している。しかし、最終的に待っているものは老いと死のみである。これは事実であって、避けられるものではない。それにも関わらず、死の訪れを予期する暇もないほどに生の利益に溺れている者も、逆にこの世に永遠に存在することができないことを悟り悲しむ者も世の中には存在するが、それは世の中は本来不変ではなく、刻一刻と移り変わっていくという道理を受け入れられていないからそうなるのだ、と兼好法師は言っています。

兼好法師は第五十九段などで、死が訪れる前に大きなやりたい事に邁進すべきだ、と前向きなニュアンスのある主張もしていますが、この段ではただただ無常を見つめよ、ということを言っているように思います。同じ無常観を扱っていても少しづつニュアンスが異なるのは、各段を書く際の兼好法師の心境や、主題としたいテーマによって少しづつ書く内容が異なっているということなのでしょう。