第七十段

原文

元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭大臣、牧馬を弾じ給ひけるに、座に着きて、まづ、柱(じう)を探られたりければ、一つ落ちにけり。

御懐(おんふところ)にそくひを持ち給ひたるにて、付けられにければ、神供(じんぐ)の参るほどによく干(ひ)て、ことゆゑなかりけり。

いかなる意趣かありけん、物見ける衣かづきの、寄りて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-08-12

元応年間に行われた清暑堂(せいしょどう。宮中で御遊が催された建物)での御遊(音楽の催し)で、玄上(げんじょう。代々伝わる名器の琵琶)が失われていた時代があった。菊亭大臣(きくていのおとど。今出川兼季)が牧馬(ぼくば。玄上に次ぐ名器の琵琶)を弾かれたところ、席に着いてまず柱(じゅう。琵琶の胴に立てて弦を支える部分)を探られると、一つ落ちてしまった。

懐にそくひ(飯粒を練って作った糊)を持っておられたので、それで柱を付けられたところ、神供(じんぐ。神への供物を捧げる儀式)が行われるころには十分に乾いて、何事もなく済んだ。

どのような考えがあったのだろうか、見物していた衣かづき(きぬかづき。女性が外出の際に頭からかぶった衣)姿の女性が、近寄って柱を外し、もとのように置き直した、ということだ。

コメント

淡々と、ある催しで発生した出来事を記録している段のように感じます。玄上や牧馬といった名器の琵琶にまつわる逸話、とっさに懐の続飯で柱を直した機転、そして最後に見物の女性がなぜか柱を外してまた元に戻した—、という謎めいた行動で終わる構成。「いかなる意趣かありけん」と兼好法師自身も理由を推測せず、分からないことは分からないままにしているところが、兼好法師らしいといえば兼好法師らしい記録の仕方だと思います。