第六段
原文
わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふもの、無くてありなん。
前中書王・九条太政大臣・花園左大臣、みな族(ぞう)絶えんことを願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはさぬぞ、良く侍る。末のおくれ給へるは、悪(わろ)きことなり」とぞ、世継の翁の物語には言へる。
聖徳太子の、御墓をかねて築(つ)かせ給ひける時も、「ここを切れ、かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-02-11)
自身が裕福であっても、まして平凡であればなおさら、子供というものはいないほうがよい。
前中書王(具平親王)、九条太政大臣(藤原実頼)、花園左大臣(源有仁)は、みな自らの家系が絶えることを願っていた。
染殿大臣(藤原良房)も、「子孫はいないほうが良い。自分の子孫が落ちぶれていくのはつらいので。」と、『大鏡(世継の翁の物語)』には記されている。
聖徳太子が、自身の墓を造らせていた時も、「ここを切り、あそこを断て。私の子孫はいないように思っている」とおっしゃったということだ。
コメント
子供は居ない方が良いという主張ですが、やや根拠に乏しいというか、主張の根拠が「他の偉い人もこう言ってるし」というようなものであり、なぜ兼好法師自身がそう思っていたのかが見えないですね。
また引用されているエピソードについても、『大鏡』にそのようなエピソードは無いようですし、聖徳太子についてもそう言っていた記録が『聖徳太子伝暦』に類話があるようですが、恐らく「子孫は居ない方が良い」という文脈ではないと私は想像します。例えば、「子孫が図に乗らないように、私と子孫が関係ないように思わせる」ことが目的であったのではないかと想像します。
兼好法師は出家されていたようなので、そのポジショントークとして「子供はないほうがよい」という主張をした面もあったのではないかと思います。ちょっとこの段の内容には賛成できないというか、兼好法師自身の考えが見えないので何とも言えないですね。
ただし、自身の憂いや心配事、厄介ごとを減らすという意味では、隠遁生活を目指すにあたっては子供がいない方が良い、生きやすいというのは事実であると思います。兼好法師がそのように考えていたのであれば、それはそれで理解はしますが、少し極端な思想だなと私は思いますし、前述の通りポジショントーク的な部分もあったと想像します。