第四十八段
原文
光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御を出だされて、食はせられけり。さて、食ひ散らしたる衝重(ついがさね)を、御簾の中へさし入れて、まかり出でにけり。
女房、「あなきたな。誰にとれとてか」など申し合はれければ、「有職の振舞、やんごとなきことなり」と、かへすがへす感ぜさせ給けるとぞ。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-05-31)
光親卿が「最勝講」という仏教行事の運営責任者として詰めていた際、院から呼び出された。院は彼に食事を与えたのだが、食事が終わると、光親卿はあえて食べ残しのある重ねの器を、そのまま御簾(院がいる場所)の中へ差し入れて退出した。
女房たちが、「なんて汚らしいのでしょう。誰に片付けさせるつもりなの」などと言い合っていたところ、院は「これこそが格式ある正しい振る舞いであり、非常に立派だ」と、繰り返し感心なさったということである。
コメント
兼好法師は、第二十二段で若い人に昔の言葉遣いが受け継がれていないことを嘆いていたり、第三十三段で過去の風習を受け継がれることにこだわりを示しています。この段も、一部の人にだけ分かる風習について述べたものですね。
どのような理由で食べ残しのある器を院に差し出すことが正しい振る舞いであるということになっていたのかは諸説あるようですが、そういった「一部の人にしか分からない礼儀」などによって貴族社会が動いていたことが伺えます。
こういった「一部の人にしか分からないこと」によって世の中が動くのは、実は現代も同じなのかもしれませんね。会社の仕事なども、何もかもルール化、見える化されているわけではなく、暗黙の共通認識で動いている部分は多々あります。「食べ残しを偉い人に与えるなんて昔の礼儀は滑稽だな」と、一読すると笑って済ませてしまいそうな内容ですが、実は考えるべきことが多くある段のように思います。