第四十七段
原文
ある人、清水へ参りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「くさめ、くさめ」と言ひもてゆきければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、いらへもせず、なほ言ひやまざりけるを、たびたび問はれて、うち腹立ちて、「やや、鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君(やしなひぎみ)の、比叡山に児にておはしますが、『ただ今もや、鼻ひ給はん』と思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。
ありがたき志なりけんかし。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-05-31)
ある人が清水寺へ参詣する途中のこと、見慣れない老いた尼が同行していた。その尼は道中で「くさめ、くさめ」と言いながら歩いていたので、「尼御前、どのような理由でそのようにおっしゃるのですか」と問うた。しかし、尼は返答もせず、言い止めることがなかったため、問い手がたびたび尋ねたところ、尼は苛立ちながら、「鼻をかんだ時に、このように呪文を唱えなければ死ぬと言われているので、私が養育している方が比叡山に稚児としていらっしゃるが、『今まさに鼻をかまれるのではないか』と思うので、こうして言っているのです」と言った。ありがたい志(愛情)であったことよ。
コメント
鼻をかんだ時には「くさめ」と言わなければならないという迷信と、それを信じている老いた尼のことを書いた段ですね。理由はどうあれ、誰かのことを想い、愛情をもって何かを行うことは素晴らしいことだと兼好法師は述べていると思います。
当時はまだ科学的な考え方は一般的ではなかったので、似たような迷信が色々と蔓延っていたものと考えられます。その時代背景を鑑みる必要はありますが、兼好法師はこういった迷信に関して特に否定するわけではなく、その迷信の内容よりも、迷信を信じて行動する心の美しさに着目されているとことが、どことなく人情派の趣を感じさせます。