第三十九段
原文
ある人、法然上人に、「念仏の時、睡(ねぶ)りにをかされて、行を怠り侍ること、いかがし
て、この障(さは)りを止(や)め侍らん」と申しければ、「目の覚めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける。いと貴かりけり。
また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも貴し。
また、「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた貴し。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-05-08)
毎日のように親しく付き合っている人が、他人が同席している時に、私に対してきちんとした態度を見せるのは、「今さら他人行儀な」などと言う人もいるだろうが、やはり「実直で、教養のある立派な人だな」と思われる。
疎遠で縁遠い人が、ふと打ち解けた話などをするのも、また、良いものだと感じられる。
コメント
「親しき中にも礼儀あり」という諺で述べていることと同じことを言っているエピソードですね。どれだけ普段打ち解けた会話を交わしていても、時と場所と場合を考えてそれに相応しい振る舞いができる人こそが素晴らしいということでしょう。
一方で疎遠な人とふと親しく打ち解けて、例えば冗談を言い合ったりするのも良いということです。兼好法師は隠者的な生活をしていますが、コミュニケーションが嫌いなわけではないことがこういった記述からも伺えますね。