第二十七段
原文
御国譲りの節会行はれて、剣璽、内侍所渡し奉らるるほどこそ、かぎりなう心細けれ。
新院のおりさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや
殿守(とのもり)のとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく
今の世の、ことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞ、さびしげなる。かかる折にぞ、人のこころもあらはれぬべき。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-04-02)
譲位の儀式が行われ、三種の神器(剣・璽・鏡)が新しい天皇へと引き継がれていく時は、この上なく心細いものである。
新院(譲位した上皇)が退位された後の春に、お詠みになったとかいう歌がある。
殿守のとものみやつこよそにして はらはぬ庭に花ぞ散りしく
(きよしち訳)
殿守(とのもり)の職員たちは、今では遠ざかって掃除もしないので、誰も掃かない庭にはただ桜の花が散っている。
今の世の人々が、新政権の多忙な諸事に紛れて、院の御所へ参上する人が誰もいない様子は、いかにも寂しげである。このような時にこそ、人間の本心が明らかになるものである。
コメント
権力によって人が集まるところは変わるということの寂しさ、広い意味での無常観を述べている段だと思います。
天皇の代替わりによって、隠居した上皇のところには今まで甲斐甲斐しく世話を焼いた職員を含めて誰も居なくなってしまった。その何とも言えない物理的な寂しさと、今までの人間関係は何だったのかという、精神的な寂しさにも焦点を当てています。上皇の歌も効果的です。
金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものですが、いつの世も人は権力と金にぶら下がって動くものなのかもしれません。兼好法師の意見としては、そういった性質に対する戒めというよりも、人間とはそういうもので、これは受け入れねばならない性質なのであり、広い意味での無常観、諦念をもって眺めているように感じられます。