第二十六段
原文
風も吹きあへずうつろふ人の心の花に、慣れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、わが世の外(ほか)になりゆく習ひこそ、亡き人の別れよりもまさりて、悲しきものなれ。
されば、白き糸の染まんことを悲しび、路のちまたの分かれんことを歎く人もありけんかし。
堀川院の百首の歌の中に、
昔見し妹(いも)が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫(すみれ)のみして
さびしき気色、さること侍りけん。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-03-27)
人の心は花のようで、風が吹ききる間もなく変わりゆく。ある友人と親しく過ごし、様々に語り合った年月の中で、心打たれ感じ入った言葉のひとつひとつを忘れることはできない。しかし、そうした縁が疎遠になり、徐々に自分とは無関係な世界の人になり、その人の心も徐々に私が語り合った時代とは異なるものになっていく世の常というものは、死別よりもいっそう悲しいものである。
だからこそ、何色にも染まってしまう白い糸が染まるのを悲しみ、どこへ続くかわからない道の分かれ道で嘆いた人もいたのであろう。
堀川院の百首の歌の中に、
昔見し妹(いも)が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫(すみれ)のみして
(きよしち訳)昔見た愛するあの人は、家の垣根が荒れ果てたように変わってしまった。今はただ、ツバナの混じったスミレが咲いているように、昔の面影のみがそこに感じられるばかりだ
という歌があるが、その寂しい情景は、まさにその通りであったに違いない。
コメント
第二十五段で述べられた強烈な無常観は、主に物理的なものを例に引いて述べられたものでしたが、この段では特に人間の心にフォーカスして無常観を述べています。
過去に親しく、自分と語り合い共感しあった人も、時が移るにつれて様々な影響を受けて変わっていく。その寂しさ、悲しさを述べています。「風も吹きあへずうつろふ人の心の花」という表現はなんとも味わい深く、風に吹かれて揺れる花をモチーフに、少しのことで簡単に揺れ動く人間の心を非常によく表現していると思います。
引用されている「昔見し…」という歌は、建物のことを述べているようでいて、過去に愛した人の変化を建物の変化に例えて述べているのでしょう。人は変わってゆく。それはどうしようもできないことであるという無常観がこの歌からも伝わってきます。