第二十段

原文

なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし持(も)たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことにさも思えぬべけれ。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-03-19

某(なにがし)とかいう名も覚えていないような隠棲者が、「現世への執着を持たない身であっても、ただ空の名残だけは惜しく感じられる」と言った。その言葉は実にその通りだと思う

コメント

いわゆる「隠者」として生活している、現世に何の未練の無いような人が、「空の名残だけは惜しい」という表現をしたことに兼好法師は同意しています。

この段の解釈のポイントは「空の名残」をどう解釈するかということにあると思います。その次の「惜しい」というのは、死んでしまった後には現世の「空の名残」を味わえなくなってしまうので、特に現世に未練は無くても、「空の名残」が味わえなくなることその点においてのみ、現世を去るのが惜しいと言っているのでしょう。この「空の名残」というのは非常に素晴らしい表現で味わい深く、兼好法師が初出ではなく西行も山家集で用いていたり、後の時代で芭蕉も用いていたりするようです。

では「空の名残」とは何なのか。まず手始めに、その言葉通り、空を指している表現と解釈してみましょう。単にこれを空と解釈するならば、空の美しさそのものを指していると解釈できます。ただしそこに「名残」と付いている。この解釈をどう考えるかがポイントだと思います。

「名残」というのはつまり「以前そこにあったものが今はないけれど、現在の様子から昔の状況が見え隠れし、かつての姿が思い起こされるもの」というような意味になるでしょう。このような「名残」の意味をそのまま「空」に当てはめて考えると、「空は今はそこにはないが、昔はそこに空があったことが思い起こされる」というような意味になりますが、空自体は消えてなくなることがありません。よって、この「空の名残」という表現は、空自体がなくなった後の名残について述べているのではなく、「刻々と移り変わる空の情景の名残」のことを述べているのであろうと考えられます。つまり「空の名残」とは、朝の空、昼の空、夕方の空、夜の空と、空の様子は刻一刻と変化するが、次の様子に変わった空の様子には少し前の空の様子の名残が感じられ、またその次の様子には少し前の空の様子の名残が感じられ…という風に、移り変わる空の情景の連続的な変化を述べていると解釈できます。長々と述べてきましたが、「空の名残」という表現を耳にした読者が直感的に感じるであろうことを言語化してみただけであり、このような長々と説明しないといけないような「動きのある情景描写」を、「空の名残」というたった四文字に込め、かつそれが何世紀もの時を経て現代の人にも明確に伝わるということが何よりも素晴らしいと思います。

さてこういった「空の名残」が惜しいと言った隠棲者に兼好法師は同意していますが、その気持ちは私にも、そして多くの人にも伝わると思います。空の連続的な変化は非常に趣深く、ずっと見ていても飽きることがありません。また空を見るということは、山や木々、鳥なども目に入ってくることでしょう。連続的な風景の変化と、それによって心動かされる自身、いつかは現世から退かなければならないと理解していたとしても、こういった自然の移り変わりの美しさを感じることだけは惜しい。その通りであると私も感じます。

逆に言えば、この世で最も味わうべきなのは、自然の移り変わりとそこで過ごす自身、つまり「空の名残」なのかもしれません。内容は短いものの、非常に美しく、考えさせられる段であったと思います。