第百三十一段

原文

貧しき者は財(たから)をもて礼とし、老いたる者は力をもて礼とす。

おのが分を知りて、及ばざる時は、すみやかに止むを智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして、しひて励むは、おのれが誤なり。

貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-10-24)

貧しい者は財物を差し出すことで相手への礼を尽くそうとし、老いた者は体力を使って働くことで相手に礼を尽くそうとする。

自分の身の程を知り、力が及ばないときは、すみやかに物事をやめることこそ知恵というべきである。自分の力が及ばないからという理由で物事をやめてしまう人に対して、腹を立てたりやめるのを許さなかったりするのは、周囲の人の誤りである。身の程を知らずに無理をして物事に励むのは、自分自身の誤りである。

貧しいのに身の程を知らなければやがて盗みをはたらき、体力が衰えても身の程を知らずに働き続ければ病気になる。

コメント

自分自身の力量を見定めることの重要性を説いた段です。

何か物事に向かう際に、自分の力量がその物事を完遂するのに十分でないと見定めたときは、その物事をやめるのが本当の知恵だと兼好法師は仰っています。ただ、そうするといつまでも物事が上手くできるようにはなりませんので、物事が上手くできるようになるまで十分に修練を積むことの重要性も言外に説いておられると思われます。

最初に述べられる「貧しき者は財(たから)をもて礼とし、老いたる者は力をもて礼とす」も味わい深い内容だと思います。貧しい人には財力が貴重に見え、老いた人には物理的な体力が貴重に見えるからこそ、他の人にもその「自分が貴重に見えるもの」を差し出すことで自分自身の感謝の気持ちなどを伝えようとする、ということなのでしょうか。そうではなく、自分が人に与えられるもののうち、相手に喜ばれるものを差し出すことで礼とするというのが本来の在り方であると思います。