第十三段

原文

一人、灯(ともしび)のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰(なぐさ)むわざなる。

文は文選のあはれなる巻々。白氏文集。老子の詞(ことば)。南華の篇。

この国の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなること多かり。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-03-01

一人、灯火の下で書物を広げて、自分とは異なる時代の人を友とすることは、この上なく心が慰められる行為である。

読むべき書物としては、『文選(もんぜん)』の素晴らしい巻々や、『白氏文集(はくしもんじゅう)』、老子の言葉、『南華真経(なんかしんきょう、すなわち荘子)』などが挙げられる。

我が国の学者たちが書いたものも、古い時代のものは、趣深いことが多い。

コメント

第十二段からの流れでしょうか、現実の、目の前の人を友とするのではなく、過去の賢人の考えやフィクションの物語の世界に浸り、その人々を友人のように思うほうが心が慰められると兼好法師は述べています。

本来は過去の賢人も、目の前にいれば友人として適しているかどうかはわかりませんが、書物に残る内容は良い所を抽出してあるものだと思いますし、何より書物は一方的に語りかけてくるだけで、当然ながら自分の考えに対して異を唱えることもないわけです。そういう意味では、書物は隠遁生活の必須用品なのかもしれません。

現代では、兼好法師の時代と同じく読書も良いですが、それに加えて映画鑑賞、音楽鑑賞、ゲームなど、受動的な趣味というものが非常に増えました。これらは全て心を慰めるにはこの上ないものでしょう。ただしそういった「心の慰め」を享受するだけでは生きていけないのが現実であり、現実と「心の慰め」とのバランスをどう取るかが課題です。その点については他の段の内容で補完されることを期待します。