第十二段
原文
同じ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなきことも、うらなく言ひ慰まんこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、「つゆ違(たが)はざらん」と向ひ居たらんは、一人ある心地やせん。
互ひに言はんほどのことをば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など、争ひ憎み、「さるから、さぞ」とも、うち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、われと等しからざらん人は、おほかたのよしなしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。
現代語訳(訳:きよしち - 2026-02-27)
自分と同じ考えを持つ人と静かに話し、面白いことも悲しいことも、意見を交換して互いの心を慰め合うことができれば嬉しいことだろうが、そのような人は実際にはいそうにない。だから、自分の考えと完全に一致すると感じている人と向き合っていたとしても、結局は一人でいるような心地がするものである。
互いに言うことに対して「なるほど」と聞き入れる価値はあるものの、やはり少しは違うところがある、そんな相手と「自分はそうは思わない」などと議論したりすれば、心の中の退屈は紛れるだろう。しかし実際にはそんな人ばかりではなく、少しの文句の付け方を聞いて自分の考えとは議論する必要もないほど相容れないと感じる人のほうが多い。そのような人はたわいもない世間話をする分には良いだろうが、真の心の友としては遠く隔たっている人に違いないので、寂しいことである。
コメント
隠者である兼好法師としては似つかわしくない話題、友人について述べた段です。とはいえ結論はやはり隠者っぽいものになっています。
まず最初に、自分と同じような考え方を持つ人と様々なことを話し合って安らぐことができれば嬉しいことだが、そのような人は存在しないということを述べています。本当に居るかどうかということを述べているのではなく、兼好法師の思想として「全く同じ考えの人はいるはずがない」というような考え方を持っていたことが伺えます。その上で、だからこそ、同じ考えを持っていそうな人と対峙していても、「どうせこの人も私の考えを全て理解してくれるはずはないのだ」という諦めに似た考えを持たざるを得ないと兼好法師は感じているようです。傑出した人特有の孤独感、諦念を感じさせる部分であると思います。
後段では、前段の内容を念頭に置いた上で、「ある程度考えの似た人とあれこれ議論することは退屈しのぎにはなる」と述べており、その上で殆どの人は議論する価値もないように感じると述べています。兼好法師の孤独感と、むしろ自ら孤独であろうとする考え方が見え隠れする段です。
「自分と全く同じ考え方を持つ人を探そう」と考えるのではなく、「自分と全く同じ考えを持つ人はいない」という前提で生きたほうが良いという戒めでもあると私は受け取りました。