第百二十段

原文

唐(から)の物は、薬のほかは無くともこと欠くまじ。書(ふみ)どもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。もろこし舟の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭(せ)く渡し持て来る、いと愚かなり。

「遠き物を宝とせず」とも、また「得がたき貨(たから)を貴まず」ともと、文にも侍るとかや。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-10-01)

中国の品物は、薬のほかはなくても不自由しないだろう。書物などは、既に日本に多く広まっているので、中国の本来の物に頼らなくとも、日本のものを元に書き写せば事足りるだろう。もろこし舟(中国風の船)が、たやすくない道のりに、無用の品物ばかりを積んで、所狭しと日本に持ってくるのは、まことに愚かである。

「遠い国の物を宝とはしない」とも、また「手に入りにくい財貨を貴ばない」とも、書物にもございますとかいうことだ。

コメント

手に入りにくいものを尊ぶ必要はないということを述べた段です。第十八段や第八十一段などで述べられた、自分に必要なものだけを持てばよい、珍しいものは不要だ、といった主張に連なる内容ですね。

当時、中国と言えば日本にとっては見習うべき大国であり、文化の発信地であったはずです。そこから運ばれてくるものが多数あったのは、それを尊ぶ人が多かったためでしょう。しかしながら兼好法師は、「薬の他は無くてもよい。書物には意味があるが、既に日本に広まってしまっているので日本のものを書き写せば事足りる」と主張しています。第七十二段において、兼好法師は書物ならいくらあっても見苦しくないと書いていますが、兼好法師の時代、中国の書物は既にあらかた日本に広まってしまっていて、これ以上中国のものを学ぶ必要は薄いと考えていたのでしょう。

現代でも、ブランド品や海外の品など、「手に入りにくいもの」を必要以上に尊ぶ風潮は存在しているように思います。そういった「珍奇さ」に惑わされず、本当に自分に必要なものを見定めて物を取捨選択できると良いですね。