第百十九段

原文

鎌倉の海に、鰹(かつを)といふ魚は、かの境(さかひ)には、双(さう)なきものにて、このごろもてなすものなり。

それも、鎌倉の年寄りの申し侍りしは、「この魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭(かしら)は下部(しもべ)も食はず。切り捨て侍りしものなり」と申しき。

かやうのものも、世の末になれば、上(かみ)ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-09-29)

鎌倉の海にいる鰹という魚は、あの地方では比べるもののないものとして、近ごろもてはやすものである。

それも、鎌倉の年寄りが申しましたことには、「この魚は、私どもが若かった頃までは、身分のある人の前へ出ることはありませんでした。頭は下人(身分の低い使用人)も食べず、切って捨てていたものです」と申した。

このようなものも、末の世になると、上流の人々のところにまで入り込んでくることなのだ。

コメント

前段の続きとして、食材の格が時代とともに移り変わることを書き残した段です。鎌倉の年寄りの証言によると、鰹はつい最近まで身分のある人の前には出されず、頭は下人ですら食べずに捨てていたような魚でした。それが今では鎌倉で珍重され、上流の人々の口にまで入るようになったと述べています。

前段である第百十八段では、鯉や雉の格は天皇の御前で調理されるといった儀礼の中の先例によって決まっていたようでした。先例を持たない鰹が格を上げていくことは、兼好法師にとって秩序が崩れていく「世の末」の表れに見えたのでしょうか。兼好法師の書きぶりからは「鰹のような下等な魚が珍重されるようになるとは世も末だ」といった、否定的な感情が見え隠れします。鎌倉は武家の都ですから、公家の価値観とは異なる武家の好みが広がっていくことへの違和感もあったのかもしれません。格や伝統よりも、味や調理法の多さという実利が尊ばれる時代に入ったという見方もあると思います。

一方で、鰹はその後、江戸時代には「初鰹」がもてはやされるほど珍重される魚になりました。兼好法師が嘆いた変化の先に現代の食文化があると思うと、当時の「格」も絶対的なものではなく、時代によって移り変わるものなのだと感じました。