第百十三段

原文

四十にも余りぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあらんはいかがはせん、言(こと)にうち出でて、男女のこと、人の上をも言ひたはぶるこそ、にげなく、見苦しけれ。

おほかた、聞きにくく見苦しきこと、老人の若き人に交はりて、興あらんともの言ひゐたる。数ならぬ身にて、世のおぼえある人を、隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に酒宴好み、「客人に饗応せん」と、きらめきたる。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-09-23)

四十歳を過ぎた人が、色恋の話を自分からこそこそとしているのはどうしようもない。色恋のことを言葉に出し、男女の仲のことや、他人の身の上について噂話をするのは、年相応でなく、見苦しいものだ。

だいたい、聞き苦しく見苦しいことといえば次のようなものがある。一つに、老人が若い人に交じって面白がらせようとものを言っていること。一つに、取るに足らない身でありながら世に評判のある人のことを親しい間柄であるかのように言うこと。一つに、貧しい暮らしをしながら酒宴を好み、「客人をもてなそう」と、派手に振る舞うこと。

コメント

年を取った人に対する「べからず集」のような内容の段です。

四十歳を過ぎて色恋や他人の身の上の噂話をすること。老人が若い人の中で何かを話し、面白がらせようとすること。有名な人を自分の友達であるかのように言うこと。貧しいにも関わらず酒を好み、派手に振舞うこと。この段の中ではこれら4点が述べられます。

兼好法師は繰り返し噂話や風聞を批判しており、自分がそういったことに混ざらないよう説き、また、仮に噂話や風聞が立ったとしても、そのような内容には耳を貸さず、人の評判を気にしないようにすべきだと述べています。噂話の批判については第五十段、第七十三段、第七十七段、第七十八段、第八十五段など多数あり、また人の評判を聞かないようにすべきだという内容は第三十八段、第七十五段、直前の第百十二段などがあります。

徒然草とは兼好法師が世の中と距離を置き隠遁生活を送る中で綴った内容ですが、確かに、隠遁生活とはつまり世俗との距離を置くということであり、世俗とは他者との関わりの中で発生する様々なことであると考えられます。他者との関わりの中で発生することとは、他者からの評価、人間関係のしがらみ、雑務全般などがあると兼好法師は述べています。

そう考えると、繰り返し出現するテーマであることにも納得であり、また隠遁生活の中核を為す考え方であると気付きました。