第百十段

原文

双六の上手といひし人に、その行(てだて)を問ひ侍りしかば、「『勝たん』と打つべからず。『負けじ』と打つべきなり。『いづれの手か、とく負ぬべき』と案じて、その手を使はずして、一目なりとも遅く負くべき手につくべし」と言ふ。

道を知れる教へ、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。

現代語訳(訳:きよしち - 2026-09-19)

双六の名人と言われた人に、その手立てを尋ねたところ、「『勝とう』と思って打ってはならない。『負けまい』と思って打つべきである。『どの手が早く負けてしまうか』と考えて、その手を使わずに、一目でも遅く負けるような手につくべきだ」と言う。

道を知っている者の教えは、身を治め、国を保つ道も、またこの通りである。

コメント

双六の名人の教えが、自分自身や国にも適用できる真理であるという内容ですね。「勝とうとする」のではなく「一手でも遅く負けるようにする」のが良いとのことです。

私も趣味で将棋を嗜みますので、双六の名人の仰ることはよく分かります。将棋であっても囲碁であっても、対戦ゲームには相手が居ます。勝とうと思って戦うと、驕りや焦りが生まれ、そういった心理の隙を突かれたり、焦って攻め込んでリソースを使い果たしてしまったりします。そうではなくて、「負けないように」戦い、相手に勝ちを意識させ、緩手を引き出すのが良いといったことなのでしょう。

上記は対戦ゲームの話ですが、普通に個人が生きているだけでも、国のような大きな組織であっても事情は同じなのでしょう。自分以外の人も何かしら誰かに勝ろうと思って生きているでしょうし、他の組織も自分の組織が一番になろうと思って運営している。しかし本来は、「勝とう」という意識ではなく、「負けない」意識で自分自身の人生を生き、組織の運営を行うべきということなのでしょう。

ところで、兼好法師の時代における双六というものは、現代のようなサイコロを振ってゴールに向かうものとは異なるもののようです。サイコロは使うようですが、バックギャモンに近いような、戦略が必要なゲームであったようですね。