--- 序段 つれづれなるままに、日暮らし、硯に向ひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ、ものぐるほしけれ。 --- 第1段 いでや、この世に生(む)まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。 御門の御位は、いともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有様はさらなり。ただ人も、舎人など、給はるきはは、ゆゆしと見ゆ。その子・孫(むまご)までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下(しも)つ方は、ほどにつけつつ、時にあひ、したり顔なるも、みづからは「いみじ」と思ふらめど、いと口惜し。 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端(はし)のやうに思はるるよ」と、清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢ひ猛(まう)に、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀聖の言ひけんやうに、名聞ぐるしく、仏の御教へにたがふらんとぞ思ゆる。ひたぶるの世捨て人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。 人は、形(かたち)・ありさまの優れたらんこそ、あらまほしかるべけれ。ものうち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそ、口惜しかるべけれ。 品(しな)・形(かたち)こそ生まれつきたらめ。心はなどか、賢きより賢きにも移さば移らざらん。形・心ざま良き人も、才(ざえ)なくなりぬれば品下り、顔憎さげなる人にも立ち交りて、かけずけおさるるこそ、本意(ほい)なきわざなれ。 ありたきことは、まことしき文の道・作文・和歌・管絃の道。また、有職に公事の方、人の鏡ならんこそ、いみじかるべけれ。手など、つたなからず走り書き、声をかしくて、拍子取り、いたましうするものから、下戸ならぬこそ、男(をのこ)はよけれ。 --- 第2段 いにしへの、ひじりの御代の政(まつりごと)をも忘れ、民の愁へ、国の損(そこな)はるるをも知らず、よろづにきよらを尽して、「いみじ」と思ひ、所狭(ところせ)きさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。 「衣冠より、馬・車に至るまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むることなかれ」とぞ、九条殿の遺誡にも侍る。 順徳院の禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉り物は、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。 --- 第3段 よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の当(そこ)なき心地ぞすべき。 露霜にしほたれて、所定めずまどひ歩(あり)き、親のいさめ、世のそしりをつつむに、心のいとまなく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは独寝(ひとりね)がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。 さりとて、ひたすらたはれたる方(かた)にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。 --- 第4段 後(のち)の世のこと、心に忘れず、仏の道うとからぬ、こころにくし。 --- 第5段 不幸に愁へに沈める人の、頭(かしら)おろしなど、ふつつかに思ひ取りたるにはあらで、あるかなきかに門さしこめて、待つこともなく明かし暮らしたる、さるかたにあらまほし。 顕基中納言の言ひけん、配所の月罪なくて見んこと、さも思えぬべし。 --- 第6段 わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふもの、無くてありなん。 前中書王・九条太政大臣・花園左大臣、みな族(ぞう)絶えんことを願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはさぬぞ、良く侍る。末のおくれ給へるは、悪(わろ)きことなり」とぞ、世継の翁の物語には言へる。 聖徳太子の、御墓をかねて築(つ)かせ給ひける時も、「ここを切れ、かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。 --- 第7段 あだし野の露、消ゆる時なく、鳥部山の烟(けぶり)、立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれも無からん。世は定めなきこそ、いみじけれ。 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ち得て、何にかはせん。 命長ければ辱(はぢ)多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。そのほど過ぎぬれば、形(かたち)を恥づる心もなく、人に出で交(まじ)らはんことを思ひ、夕べの陽(ひ)に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末(すゑ)を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。 --- 第8段 世の人の心まどはすこと、色欲にはしかず。 人の心はおろかなるものかな。匂ひなどは仮のものなるに、「しばらく衣裳に薫き物す」と知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心どきめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけんは、まことに、手・足・肌(はだへ)などの清らに、肥えあぶらづきたらんは、ほかの色ならねば、さもあらんかし。 --- 第9段 女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。人のほど・心ばへは、もの言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。 ことにふれて、うちあるさまにも、人の心を惑はし、すべて女の、うちとけたる寝(い)も寝(ね)ず、「身を惜し」とも思ひたらず、耐ゆべくもあらぬわざにもよく耐へ忍ぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。 まことに、愛着の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、ただかの惑ひの、一つ止めがたきのみぞ、老たるも若きも、智あるも愚なるも、変る所なしと見ゆる。 されば、女の髪筋(かみすぢ)をよれる綱には、大象もよく繋がれ、女の履ける足駄(あしだ)にて作れる笛には、秋の鹿、必ず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。 みづから戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑ひなり。 --- 第10段 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮(かり)の宿りとは思へど、興あるものなれ。 良き人の、のどやかに住なしたる所は、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きららかならねど、木立(こだち)もの古(ふ)りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚(むかしおぼ)えて、やすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。 多くの匠(たくみ)の、心を尽して磨き立て、唐の大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽(せんざい)の草木まで、心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。「さてもやは、長らへ住むべき。また、時のまの煙(けぶり)ともなりなん」とぞ、うち見るより思はるる。おほかたは、家居にこそ、ことざまは推し量らるれ。 後徳大寺大臣の、「寝殿に鳶居させじ」とて、縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶の居たらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心、さばかりにこそ」とて、その後(のち)は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしかば、かの例(ためし)思ひ出でられ侍りしに、まことや、「烏のむれ居て、池の蛙を捕りければ、御覧じ悲しませ給ひてなん」と人の語りしこそ、「さては、いみじくこそ」と覚えしか。 徳大寺にも、いかなるゆゑか侍りけん。 --- 第11段 神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入ること侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。 木の葉に埋(うづ)もるる、懸樋(かけひ)のしづくならでは、つゆ音なふものなし。閼伽棚(あかだな)に、菊・紅葉(もみぢ)など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。 「かくてもあられけるよ」と、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはりを厳しく囲(かこ)ひたりしこそ、すこしことさめて、「この木、無からましかば」と思えしか。 --- 第12段 同じ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなきことも、うらなく言ひ慰まんこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、「つゆ違(たが)はざらん」と向ひ居たらんは、一人ある心地やせん。 互ひに言はんほどのことをば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など、争ひ憎み、「さるから、さぞ」とも、うち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、われと等しからざらん人は、おほかたのよしなしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。 --- 第13段 一人、灯(ともしび)のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰(なぐさ)むわざなる。 文は文選のあはれなる巻々。白氏文集。老子の詞(ことば)。南華の篇。 この国の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなること多かり。 --- 第14段 和歌こそ、なほをかしきものなれ。 あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつれば、おもしろく、怖しき猪(ゐのしし)も、「臥す猪(ゐ)の床(とこ)」と言へば、やさしくなりぬ。 このごろの歌は、一節(ひとふし)をかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、言葉の外に、あはれに気色(けしき)思ゆるはなし。 貫之が、「糸によるものならなくに」と言へるは、古今集の中の歌屑(うたくづ)とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・言葉、このたぐひのみ多し。この歌にかぎりて、かく言ひ立てられたるも知りがたし。 源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」と言へる歌をぞ言ふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。 されど、この歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にも、ことさらに感じ仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり。 歌の道のみ、いにしへに変らぬなど言ふこともあれど、いさや、今も詠みあへる同じ詞・歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに同じものにあらず。易く、素直にして、姿も清げに、あはれも深く見ゆ。 梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなることは多かめれ。昔の人は、ただいかに言ひ捨てたることぐさも、みないみじく聞こゆるにや。 --- 第15段 いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目覚むる心地すれ。 そのわたり、ここかしこ見歩(あり)き。田舎びたる所、山里などは、いと目慣れぬことのみぞ多かる。都へ便り求めて文やる。「そのこと、かのこと、便宜に、忘るな」などいひやるこそをかしけれ。 さやうの所にてこそ、よろづに心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、形よき人も、常(つね)よりはをかしとこそ見ゆれ。 寺・社などに、忍びてこもりたるもをかし。 --- 第16段 神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。 おほかた、ものの音(ね)には、笛・篳篥(ひちりき)。常に聞きたきは、琵琶・和琴(わごん)。 --- 第17段 山寺にかきこもりて、仏に仕(つか)うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。 --- 第18段 人は、おのれをつづまやかにし、奢(おご)りを退けて、財(たから)を持たず、世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるはまれなり。 唐土(もろこし)に許由といひつる人は、さらに身にしたがへる貯へもなくて、水をも手してささげて飲みけるを見て、なり瓢(ひさこ)といふ物を、人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、「かしかまし」とて捨てつ。また、手にむすびてぞ、水も飲みける。いかばかり、心のうち、凉しかりけん。 孫晨は、冬月に衾(ふすま)なくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝には納めけり。 唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記し留めて、世にも伝へけめ。これらの人は、語りも伝ふべからず。 --- 第19段 折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。 「もののあはれは、秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今、ひときは心も浮き立つものは、春の気色にこそあめれ。鳥の声なども、ことのほかに春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草もえ出づるころより、やや春深く、霞み渡りて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、折しも、雨風うち続きて、心あはたたしく散り過ぎぬ。青葉になりゆくまで、よろづに、ただ心をのみぞ悩ます。 花橘(はなたちばな)は名にこそ負へれ。なほ、梅に匂ひにぞ、いにしへのことも立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。 「灌仏のころ、祭のころ、若葉の梢、凉しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と、人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。 五月、菖蒲(あやめ)ふくころ、早苗とるころ、水鶏(くひな)の叩くなど、心細からぬかは。 六月のころ、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるもあはれなり。六月祓(みなつきばらへ)、またをおかし。 七夕祭るこそ、なまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きて来るころ、萩の下葉色づくほど、早稲田(わさだ)刈り干すなど、取り集めたることは、秋のみぞ多かる。また、野分の朝(あした)こそ、をかしけれ。 言ひ続くれば、みな『源氏物語』・『枕草子』などに、ことふりにたれど、同じこと、また今さらに言はじとにもあらず。おぼしきこと言はぬは、腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破(や)り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。 さて、冬枯れの気色こそ、秋にはをさをさおとるまじけれ。汀(みぎは)の草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白うおける朝。遣水(やりみづ)より煙の立つこそ、をかしけれ。 年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして、見る人もなき、月の寒けく澄める二十日あまりの空こそ、心細きものなれ。御仏名・荷前(のさき)の使立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事どもしげく、春の急ぎにとり重ねて、催し行なはるるさまぞ、いみじきや。 追儺(ついな)より、四方拝に続くこそ、面白けれ。晦日(つごもり)の夜、いたう暗きに、松ども灯して、夜半過ぐるまで、人の門叩き走りありきて、何ごとにかあらん、ことことしくののしりて、足を空(そら)にまどふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心細けれ。「亡き人の来る夜」とて、魂(たま)祀るわざは、このごろ都にはなきを、東(あづま)の方には、なほすることにてありしこそ、あはれなりしか。 かくて明けゆく空の気色、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、華やかに嬉しげなるこそ、またあはれなれ。 --- 第20段 なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし持(も)たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことにさも思えぬべけれ。 --- 第21段 よろづのことは、月見るにこそ、慰むものなれ。ある人の、「月ばかりおもしろきものはあらじ」と言ひしに、また一人、「露こそあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。 折にふれば、何かはあはれならざらん。月・花はさらなり。風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るる水の気色こそ、時をも分かずめでたけれ。「沅・湘、日夜東に流れ去る。愁人のために留まること、少時(しばらく)もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。 嵇康も、「山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ」と言へり。人遠(どお)く、水草清き所にさまよひ歩(あり)きたるばかり、心慰むことはあらじ。 --- 第22段 何事も古き世のみぞしたはしき。今様(いまやう)は無下にいやしくこそ、なりゆくめれ。 かの木の道の匠(たくみ)の作れる、美しき器物(うつはもの)も、古代の姿こそ、をかしと見ゆれ。 文の詞(ことば)などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただ言ふ言葉も、口惜しうこそなりもてゆくなれ。「いにしへは、『車もたげよ』、『火かかげよ』とこそ言ひしを、今様の人は、『もてあげよ』、『かきあげよ』と言ふ。『主殿寮人、人数だて』と言ふべきを、『たちあかし、しろくせよ』と言ひ、最勝講御聴聞所なるをば、『ごかうのろ』とこそ言ふを、『かうろ』と言ふ。口惜し」とぞ、古き人は仰せられし。 --- 第23段 おとろへたる末の世とはいへど、なほ、九重の神さびたるありさまこそ、世づかず、めでたきものなれ。 露台(ろだい)・朝餉(あさがれひ)・何殿(なにでん)・何門(なにもん)などは、いみじとも聞こゆべし。あやしの所にもありぬべき、小蔀(こじとみ)・小板敷(こいたじき)・高遣戸(たかやりど)なども、めでたくこそ聞こゆれ。 「陣に夜の設(まうけ)せよ」と言ふこそ、いみじけれ。夜の御殿のをば、「かいともし、とうよ」など言ふ、まためでたし。上卿の陣にて、こと行へるさまはさらなり。諸司の下人どもの、したり顔に慣れたるもをかし。さばかり寒き夜もすがら、ここかしこに睡(ねぶ)り居たるこそ、おかしけれ。 「内侍所の御鈴の音は、めでたく、優なるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣は仰せられける。 --- 第24段 斎王の、野宮(ののみや)におはしますありさまこそ、やさしく、おもしろきことのかぎりとは思えしか。経・仏など忌みて、「中子(なかご)」・「染紙(そめがみ)」など言ふなるもをかし。 すべて、神の社こそ、捨てがたくなまめかしきものなれや。もの古りたる森の気色もただ ならぬに、玉垣しわたして、榊(さかき)に木綿(ゆふ)かけたるなど、いみじからぬかは。 ことにをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布禰・吉田・大原野・松尾・梅宮。 --- 第25段 飛鳥川の淵瀬、常ならぬ世にしあれば、時移り事(こと)去り、楽しび悲しび、行きかひて、花やかなりしあたりも、人住まぬ野らとなり、変らぬ住処(すみか)は、人改まりぬ。桃李、もの言はねば、誰とともにか昔を語らん。まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。 京極殿・法成寺など見るこそ、志とどまり、こと変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、荘園多く寄せられ、「わが御族(おんぞう)のみ、御門の御後見(おんうしろみ)、世のかためにて、行く末まで」と思し置きし時、いかならん世にも、かばかりあせはてんとは思してんや。 大門・金堂など、近くまでありしかど、正和のころ、南門は焼けぬ。金堂はその後(のち)倒(たふ)れ伏したるままにて、とり立つるわざもなし。 無量寿院ばかりぞ、その形(かた)とて残りたる。丈六の仏九体、いと貴くて、並びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、いまだ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。 かばかりの名残だになき所々は、おのづから礎(いしずゑ)ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。 されば、よろづに見ざらん世までを思ひ置きてんこそ、はかなかるべけれ。 --- 第26段 風も吹きあへずうつろふ人の心の花に、慣れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、わが世の外(ほか)になりゆく習ひこそ、亡き人の別れよりもまさりて、悲しきものなれ。 されば、白き糸の染まんことを悲しび、路のちまたの分かれんことを歎く人もありけんかし。 堀川院の百首の歌の中に、   昔見し妹(いも)が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫(すみれ)のみして さびしき気色、さること侍りけん。 --- 第27段 御国譲りの節会行はれて、剣璽、内侍所渡し奉らるるほどこそ、かぎりなう心細けれ。 新院のおりさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや   殿守(とのもり)のとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく 今の世の、ことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞ、さびしげなる。かかる折に ぞ、人のこころもあらはれぬべき。 --- 第28段 諒闇の年ばかり、あはれなることはあらじ。 倚廬(いろ)の御所のさまなど、板敷を下げ、葦の御簾をかけて、布の帽額(もかう)あらあらしく、御調度どもおろそかに、皆人の装束(さうぞく)・太刀・平緒(ひらを)まで、ことやうなるぞゆゆしき。 --- 第29段 静かに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞ、せんかたなき。 人しづまりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、「残し置かじ」と思ふ反古など、破り捨つる中に、亡き人の手習ひ、絵描きすさびたる、見出でたるこそ、ただその折の心地すれ。 このごろある人の文だに、久しくなりて、「いかなる折、いつの年なりけん」と思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくて、変らず久しき。いとかなし。 --- 第30段 人の亡きあとばかり、悲しきはなし。 中陰のほど、山里などに移ろひて、便悪(びんあ)しく狭(せば)き所にあまたあひ居て、後のわざども営みあへるは、あはただし。日数の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、互ひに言ふこともなく、われ賢げにものひきしたため、ちりぢりに行あかれぬ。 もとの住処(すみか)に帰りてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、あとのため忌むなることぞ」など見るこそ、「かばかりの中に何かは」と、人の心は、なほうたて思ゆれ。 年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、「去る者は日々に踈し」と言へることなれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは思えぬにや、よしなしごと言ひて、うちも笑ひぬ。骸(から)はけうとき山の中に納めて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく卒都婆も苔むし、木の葉降り埋(うづ)みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、こと問ふよすがなりける。 思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまた、ほどなく失せて、聞伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。 さるは、跡問ふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず。年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐にむせびし松も千年を待たで薪に砕かれ、古墳はすかれて田となりぬ。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。 --- 第31段 雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべきことありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返り事に、「『この雪いかが見る』と、一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるること、聞き入るべきかは。かへすがへす口惜しき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。 --- 第32段 九月二十日のころ、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで、月見歩(あり)くこと侍りしに、思し出づる所ありて、案内(あない)せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち香りて、忍びたる気配、いとものあはれなり。 よきほどにて出で給ひぬれど、なほことざまの優(いう)に思えて、ものの隠れより、しばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見る気色なり。 やがてかけこもらましかば、口惜しからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうのことは、ただ朝夕の心づかひによるべし。 その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。 --- 第33段 今の内裏作り出だされて、有職(いうそく)の人々に見せられけるに、「いづくも難なし」とて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院御覧じて、「閑院殿の櫛形(くしがた)の穴は、まろく、縁(ふち)もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。 これは葉(えう)の入りて、木にて縁をしたりければ、誤りにて直されにけり。 --- 第34段 甲香(かいかう)は法螺貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長(ほそなが)にして出でたる貝の蓋(ふた)なり。 武蔵国金沢といふ浦にありしを、所の者は、「へなたりと申し侍る」とぞ言ひし。 --- 第35段 手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし。「見苦し」とて、人に書かするはうるさし。 --- 第36段 「久しく訪れぬころ、『いかばかり恨むらん』と、わが怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女のかたより、『仕丁やある。一人』など、言ひおこせたるこそ、ありがたく嬉しけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と、人の申し侍りし、さもあるべきことなり。 --- 第37段 朝夕隔てなく慣れたる人の、ともある時、われに心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今さらかくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、「げにげにしく、よき人かな」とぞ思ゆる。 うとき人の、うちとけたることなど言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。 --- 第38段 名利に使はれて、しづかなるいとまなく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。 財(たから)多ければ、身を守るにまどし。害を買ひ、累を招くなかだちなり。身の後(のち)には、金(こがね)をして北斗をささふとも、人のためにぞ、わづらはるべき。 愚かなる人の、目を喜ばしむる楽しみ、また、あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、「うたて、愚かなり」とぞ見るべき。金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利にまどふは、すぐれて愚かなる人なり。 埋(うづ)もれぬ名を、長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。位(くらゐ)高く、やん ごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生まれ、時にあへば、高位に昇り、奢りを極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賤しき位に居(を)り、時にあはずしてやみぬる、また多し。ひとへに高き官(つかさ)・位を望むも、次に愚かなり。 智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉れも残さまほしきを、つらつら思へば、誉れを愛するは、人の聞きを喜ぶなり。誉(ほ)むる人、謗(そし)る人、ともに世にととまらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られんことを願はん。誉れはまた毀(そし)りのもとなり。身の後の名、残りてさらに益(やく)なし。これを願ふも、次に愚かなり。 ただし、しひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり。才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。 いかなるをか、智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか、善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。もとより、賢愚得失の境(さかひ)に居(を)らざればなり。 迷ひの心をもちて、名利の要を求むるに、かくのごとし。万事は、みな非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。 --- 第39段 ある人、法然上人に、「念仏の時、睡(ねぶ)りにをかされて、行を怠り侍ること、いかがし て、この障(さは)りを止(や)め侍らん」と申しければ、「目の覚めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける。いと貴かりけり。 また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも貴し。 また、「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた貴し。 --- 第40段 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、形良しと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ栗をのみ食ひて、さらに米(よね)の類(たぐひ)を食はざりければ、「かかる異様(ことやう)の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親、許さざりけり。 --- 第41段 五月五日、賀茂の競馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雑人立ち隔てて、見えざりしかば、おのおの降りて、埒(らち)の際(きは)に寄りたれど、ことに人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。 かかる折に、向かひなる楝(あふち)の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。取り付きながら、いたう睡(ねぶ)りて、落ちぬべき時に目を覚ますこと、たびたびなり。 これを見る人、嘲(あざけ)りあさみて、「世の痴れ者かな。かく危ふき枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、わが心にふと思ひしままに、「われらが生死(しやうじ)の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮らす、愚かなることは、なほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことに、さにこそ候ひけれ。もつとも愚かに候ふ」と言ひて、みな、後ろを見返りて、「ここへ入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。 かほどのことわり、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの思ひかけぬ心地して、胸に当りけるにや、人、木石にあらねば、時にとりて、ものに感ずることなきにあらず。 --- 第42段 唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。 気(け)の上る病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うち覆ひければ、ものも見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただ怖しく、鬼の顔になりて、目は頂(いただき)のかたに付き、額のほど鼻になりなどして、後(のち)は坊の内の人にも見えずこもりゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。 かかる病もあることにこそありけれ。 --- 第43段 春の暮れつかた、のどやかに艶なる空に、いやしからぬ家の、奥深く、木立ちもの古りて、庭に散りしをれたる花見過ぐしがたきを、さし入りて見れば、南面(みなみおもて)の格子(かうし)みな下して、さびしげなるに、東に向きて、妻戸のよきほどに開きたる、御簾の破れより見れば、形清げなる男の、年二十(はたち)ばかりにて、うちとけたれど、心にくく、のどやかなるさまして、机の上に文を繰り広げて、見居たり。 いかなる人なりけん。尋ね聞かまほし。 --- 第44段 あやしの竹の編戸(あみど)の内より、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つややかなる狩衣に、濃き指貫(さしぬき)、いとゆゑづきたるさまにて、ささやかなる童一人を具して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつつ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、「あはれと、聞き知るべき人もあらじ」と思ふに、行かん方知らまほしくて、見送りつつ行けば、笛を吹きやみて、山の際(きは)に惣門のある内に入りぬ。 榻(しぢ)に立てたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しかしかの宮のおはしますころにて、御仏事など候ふにや」と言ふ。御堂の方に、法師ども参りたり。 夜寒(よさむ)の風にさそはれ来る、そら薫物(だきもの)の匂ひも、身にしむ心地す。寝殿より御堂の廊に通ふ女房の、追風用意(おひかぜようい)など、人目なき山里ともいはず、心づかひしたり。 心のままに茂れる秋の野らは、置きあまる露に埋(うづ)もて、虫の音(ね)かごとがましく、遣水(やりみづ)の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来(ゆきき)も早き心地して、月の晴れ曇ること定めがたし。 --- 第45段 公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞こえしは、極めて腹あしき人なりけり。 坊の傍らに、大きなる榎(え)の木のありければ、人、「榎木僧正(えのきのそうじやう)」とぞ言ひける。 「この名、しかるべからず」とて、かの木を切られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。 いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡、大きなる堀(ほり)にてありければ、堀池僧正(ほりけのそうじやう)とぞ言ひける。 --- 第46段 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。 たびたび強盗にあひたるゆゑに、この名を付けにけるとぞ。 --- 第47段 ある人、清水へ参りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「くさめ、くさめ」と言ひもてゆきければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、いらへもせず、なほ言ひやまざりけるを、たびたび問はれて、うち腹立ちて、「やや、鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君(やしなひぎみ)の、比叡山に児にておはしますが、『ただ今もや、鼻ひ給はん』と思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。 ありがたき志なりけんかし。 --- 第48段 光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御を出だされて、食はせられけり。さて、食ひ散らしたる衝重(ついがさね)を、御簾の中へさし入れて、まかり出でにけり。 女房、「あなきたな。誰にとれとてか」など申し合はれければ、「有職の振舞、やんごとなきことなり」と、かへすがへす感ぜさせ給けるとぞ。 --- 第49段 老来たりて、はじめて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳(つか)、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、たちまちにこの世を去らんとする時にこそ、はじめて過ぎぬる方(かた)の誤れることは知らるなれ。 誤りといふは、他のことにあらず。速(すみや)かにすべきことを緩(ゆる)くし、緩くすべき ことを急ぎて、過ぎにしことの悔やしきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。 人はただ、無常の身に迫りぬることを心にひしとかけて、つかの間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。 「昔ありける聖(ひじり)は、人来たりて、自他の要事を言ふ時、答へていはく、『今、火急のことありて、すでに朝夕に迫れり』とて、耳をふたぎて、念仏して、つひに往生を遂げけり」と、禅林の十因に侍り。 心戒といひける聖は、あまりにこの世のかりそめなることを思ひて、静かについゐけることだになく、常はうずくまりてのみぞありける。 --- 第50段 応長のころ、伊勢国より、女の鬼になりたるを率(ゐ)て上りたるといふことありて、そのころ二十日ばかり、日ごとに京・白川の人、「鬼見に」とて出でまどふ。 「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「ただ今はそこそこに」など言ひあへり。「まさしく見たり」と言ふ人もなく、「虚言(そらごと)」と言ふ人もなし。上下、ただ鬼のことのみ言ひやまず。 そのころ東山より、安居院の辺へまかり侍りしに、四条よりかみさまの人、みな北をさして走る。「一条室町に鬼あり」と、ののしりあへり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、さらに通り得(う)べうもあらず立ち混みたり。「はやく、跡なきことにはあらざめり」とて、人をやりて見するに、おほかた会へる者なし。暮るるまでかく立ち騒ぎて、はては闘諍おこりて、あさましきことどもありけり。 そのころ、おしなべて、二三日人のわづらふること侍りしをぞ、「かの鬼の虚言(そらごと)は、このしるしを示すなりけり」といふ人も侍りし。 --- 第51段 亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。 多くの銭(あし)を給ひて、数日に営み出だして、かけたりけるに、おほかた廻(めぐ)らざり ければ、とかく直しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり。 さて、宇治の里人を召して、こしらへさせければ、やすらかにゆひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るることめでたかりけり。 よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。 --- 第52段 仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心憂く思えて、ある時、思ひ立ちて、ただ一人、徒歩(かち)より詣でけり。極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、「かばかり」と心得て、帰りにけり。 さて、かたへの人に会ひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、貴くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん。ゆかしかりしかど、『神へ参るこそ本意(ほい)なれ』と思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。 少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしきことなり。 --- 第53段 これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおの遊ぶことありけるに、酔(ゑ)ひて、興に入るあまり、傍らなる足鼎(あしがなへ)を取りて、頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻を押し平(ひら)めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座、興に入ることかぎりなし。 しばしかなでて後、抜かんとするに、おほかた抜かれず。酒宴ことさめて、「いかがはせん」とまどひけり。とかくすれば、頸のまはり欠けて血垂り、ただ腫れに腫れ満ちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず。 響きて耐へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足(みつあし)なる角(つの)の上に、帷子(かたびら)をうちかけて、手を引き、杖を突かせて、京なる医師(くすし)のがり率(ゐ)て行きける。道すがら、人の怪しみ見ることかぎりなし。 医師のもとにさし入りて、向ひ居たりけんありさま、さこそ異様(ことやう)なりけめ。ものを言ふも、くぐもり声に響きて聞こえず。「かかることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄り居て、泣き悲しめども、聞くらんとも思えず。 かかるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ、耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。ただ力を立てて引き給へ」とて、藁のしべをまはりにさし入れて、金(かね)を隔てて、頸(くび)もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。 からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。 --- 第54段 御室に、いみじき児のありけるを、「いかで誘ひ出だして遊ばん」と、たくむ法師どもありて、能ある遊び法師どもなどかたらひて、風流の破子(わりご)やうのもの、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情の物にしたため入れて、双(ならび)の岡の便(びん)よき所に埋(うづ)み置きて、紅葉散らしかけなど、思よらぬさまにして、御所へ参りて、児をそそのかし出でにけり。 「うれし」と思ひて。ここかしこ遊びめぐりて、ありつる苔のむしろに並み居て、「いたうこそごうじにたれ。あはれ、紅葉を焚かん人もがな。験あらん僧達、祈りこころみられよ」など言ひしろひて、埋めつる木のもとに向きて、数珠押し擦り、印ことごとしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。「所の違(たが)ひたるにや」とて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。 埋みけるを、人の見おきて、御所へ参りたる間(ま)に盗めるなりけり。法師ども、言の葉なくて、聞きにくく諍(いさか)ひ、腹立ちて帰りにけり。 あまりに興あらんとすることは、必ずあいなきものなり。 --- 第55段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころ悪(わろ)き住居(すまひ)は耐へがたきことなり。深き水は凉しげなし。浅くて流れたる、はるかに凉し。 細かなるものを見るに、遣戸(やりど)は蔀(しとみ)の間よりも明かし。天井の高きは、冬寒く、灯暗し。 造作は用なき所を作りたる。見るも面白く、よろづの用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。 --- 第56段 久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること、かずかずに残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、ほど経て見るは恥かしからぬかは。 つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、「今日ありつること」とて、息もつぎはへず語り興するぞかし。良き人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから人も聞くにこそあれ。良からぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、みな同じく笑ひののしる。いとらうがはし。 をかしきことを言ひてもいたく興ぜぬと、興なきことを言ひてもよく笑ふにぞ、品(しな)のほど、はかられぬべき。 人のみざまの良し悪し、才(ざえ)ある人は、そのことなど定めあへるに、己(おの)がことを 引きかけて言ひ出でたる、いとわびし。 --- 第57段 人の語り出でたる歌物語の、歌の悪(わろ)きこそ本意(ほい)なけれ。 少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。すべていとも知らぬ道の物語したる。かたはらいたく、聞きにくし。 --- 第58段 「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世を願はんに、かたかるべきかは」と言ふは、さらに後世知らぬ人なり。 げには、この世をはかなみ、「必ず生死を出でん」と思はんに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家をかへりみる営みのいさましからん。心は縁に引かれて移るものなれば、閑(しづ)かならでは、道は行じがたし。 そのうつはもの、昔の人に及ばず。山林に入りても、餓ゑを助け、嵐を防ぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづから世を貪(むさぼ)るに似たることも、たよりにふればなどかなからん。 さればとて、「そむけるかひなし。さばかりならば、なじかはすてし」など言はんは、無下のことなり。さすがに、一度(ひとたび)道に入りて、世を厭(いと)はん人、たとひ望みありとも、いきほひある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾(ふすま)・麻の衣(ころも)・一鉢のまうけ・藜(あかざ)の羹(あつもの)、いくばくか人の費(つい)えをなさん。求むる所はやすく、その心早く足りぬべし。形に恥づる所もあれば、さはいへど、悪にはうとく、善には近付くことのみぞ多き。 人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁(のが)れんことこそ、あらまほしけれ。ひとへに貪ることをつとめて、菩提におもむかざらんは、よろづの畜類に変るところあるまじくや。 --- 第59段 大事を思ひ立たん人は、去りがたく心にかからんことの本意(ほい)を遂げずして、さながら捨つべきなり。 「しばし、このこと果てて」、「同じくは、かのこと沙汰しおきて」、「しかしかのこと、人の嘲(あざけ)りやあらん。行く末難なくしたためまうけて」、「年ごろもあればこそあれ、そのこと待たん。ほどあらじ。物騒がしからぬやうに」など思はんには、えさらぬことのみいとど重なりて、ことの尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。 おほやう、人を見るに、少し心ある際(きは)は、みなこのあらましにてぞ、一期は過ぐめる。 近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とやいふ。身を助けんとすれば、恥をもかへり見ず、財をも捨てて、逃(のが)れ去るぞかし。命は人を待つものかは。 無常の来たることは、水火の攻むるよりも速(すみや)かに逃れがたきものを、その時、老いたる親・いときなき子・君の恩・人の情け、捨てがたしとて、捨てざらんや。 --- 第60段 真乗院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭(いもがしら)といふ物を好みて、多く食ひけり。 談義の座にても、大きなる鉢にうづ高く盛りて、膝もとに置きつつ、食ひながら文をも読みけり。わづらふことあるには、 七日、二七日など、「療治」とて、こもり居て、思ふやうに良き芋頭を選びて、ことに多く食ひて、よろづの病を癒(いや)しけり。人に食はすることなし。ただ一人のみぞ食ひける。 きはめて貧しかりけるに、師匠、死にざまに、銭二百貫と坊一つを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万疋(ぴき)を芋頭の銭(あし)と定めて、京なる人に預け置きて、十 貫づつ取り寄せて、芋頭を乏(とも)しからず召しけるほどに、またこと用にもちふることなくて、その銭(あし)、みなになりにけり。 「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かくはからひける、まことにありがたき道心者なり」とぞ、人申しける。 この僧都、ある法師を見て、「しろうるり」といふ名を付けたりけり。「とは、何物ぞ」と、人の問ひければ、「さる物をわれも知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。 この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・弁説、人にすぐれて、宗の法灯なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽(かろ)く思ひたる曲者(くせもの)にて、よろづ自由にして、おほかた人に従ふといふことなし。 出仕して饗膳(きやうぜん)などにつく時も、みな人の前据(す)ゑわたすを待たず、わが前に据ゑぬれば、やがて一人うち食ひて、帰りたければ、一人つい立ちて行きけり。斎(とき)・非時(ひじ)も、人にひとしく定めて食はず。わが食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、眠(ねぶ)たければ、昼もかきこもりて、いかなる大事あれども人の言ふこと聞き入れず、目覚めぬ れば、幾夜も寝(い)ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬさまなれども、人に厭(いと)はれず、よろづ許されけり。徳の至れりけるにや。 --- 第61段 御産(ごさん)の時、甑(こしき)落すことは、定まれることにはあらず。御胞衣(おんえな)とどこほるときのまじなひなり。とどこほらせ給はねば、このことなし。 下ざまよりことおこりて、させる本説なし。大原の里の甑を召すなり。古き宝蔵の絵に、賤しき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。 --- 第62段 延政門院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、「御ことづて」とて、申させ給ひける御歌。   ふたつ文字牛の角(つの)文字すぐな文字ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる 「こいしく」思ひ参らせ給ふとなり。 --- 第63段 後七日の阿闍梨、武者を集むること、いつとかや、盗人にあひにけるより、宿直人(とのゐびと)とて、かくことことしくなりにけり。 一年の相は、この修中のありさまにこそ見ゆなれば、兵を用ゐんこと、穏かならぬことなり。 --- 第64段 「車の五緒(いつつを)は、必ず人によらず、ほどにつけて、きはむる官(つかさ)・位に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、ある人、仰せられし。 --- 第65段 このごろの冠は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の冠桶を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。 --- 第66段 岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一双をそへて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼(おんたかがひ)下毛野武勝(しもつけのたけかつ)に仰せられたりけるに、「花に鳥付くるすべ、知り候はず。一枝に二つ付くることも存知候はず」と申しければ、膳部(ぜんぶ)に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば、おのれが思はんやうに付けて参らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。 武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。五葉などにも付く。枝の長さ七尺、あるいは六尺。返し刀五分に切る。枝の半ばに鳥を付く。付くる枝、踏まする枝あり。しじら藤の割らぬにて、二ところ付くべし。藤の先は、ひうち羽の長(たけ)に比べて切りて、牛の角のやうにたわむべし。初雪の朝(あした)、枝を肩にかけて、中門よりふるまひて参る。大砌(おほみぎり)の石を伝ひて、雪に跡を付けず、あまおほひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄に寄せかく。禄を出ださるれば、肩にかけて、拝して退く。初雪といへども、沓のはなの隠れぬほどの雪には参らず。あまおほひの毛を散らすことは、鷹はよわ腰を取ることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。 花に鳥付けずとは、いかなるゆゑにかありけん。長月ばかりに、梅の作り枝に雉を付けて、「君がためにと折る花は時しも分かぬ」といへること、伊勢物語に見えたり。作り花は苦しからぬにや。 --- 第67段 賀茂の岩本・橋本は業平・実方なり。 人の常に言ひまがへ侍れば、一年(ひととせ)参りたりしに、老いたる宮司(みやづかさ)の過ぎしを呼びとどめて尋ね侍りしに、「『実方は、御手洗(みたらし)に影の映りける所』と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと思え侍る。吉水和尚、   月をめで花をながめしいにしへのやさしき人はここにありはら とよみ給ひけるは、岩本の社とこそ承り置き侍れど、おのれらよりは、なかなか御存知などもこそ候はめ」と、いとうやうやしく言ひたりしこそ、いみじく思えしか。 今出川院近衛とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書て、手向けられけり。まことにやんごとなき誉ありて、人の口にある歌多し。作文・詩序など、いみじく書く人なり。 --- 第68段 筑紫に、なにがしの押領使(あふりやうし)などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおほね)を、「よろづにいみじき薬」とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひけること、年久しくなりぬ。 ある時、館の内に、人も無かりける隙(ひま)をはかりて、敵(かたき)襲ひ来たりて、囲み責めけるに、館の内に、兵(つはもの)二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、みな追ひ返してげり。 いと不思議に思えて、「日ごろここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年ごろたのみて、朝な朝な召しつる土大根らに候ふ」と言ひて失せにけり。 深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ。 --- 第69段 書写の上人は、法華読誦の功積もりて、六根浄にかなへる人なりけり。 旅の仮屋(かりや)に立ち入られけるに、豆の殻(から)を焚きて、豆を煮ける音の、つぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「踈(うと)からぬおのれらしも、恨めしく、われをば煮て、からき目を見するものかな」と言ひけり。 焚かるる豆殻(まめがら)の、はらはらと鳴る音は、「わが心よりすることかは。焼かるるは、いかばかり堪(た)へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞こえける。 --- 第70段 元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭大臣、牧馬を弾じ給ひけるに、座に着きて、まづ、柱(じう)を探られたりければ、一つ落ちにけり。 御懐(おんふところ)にそくひを持ち給ひたるにて、付けられにければ、神供(じんぐ)の参るほどによく干(ひ)て、ことゆゑなかりけり。 いかなる意趣かありけん、物見ける衣かづきの、寄りて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。 --- 第71段 名を聞くより、やがて面影は推し量らるる心地するを、見る時は、またかねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、「このごろの人の家の、そこほどにてぞありけん」と思えて、人も今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかく思ゆるにや。 また、いかなる折ぞ、ただ今、人の言ふことも、目に見ゆるものも、わが心の内も、「かかることのいつぞやありしか」と思えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、わればかりかく思ふにや。 --- 第72段 賤(いやし)げなるもの。居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽(せんざい)に石・草木の多き。家の内に子孫(こうまご)の多き。人にあひて詞(ことば)の多き。願文に作善(さぜん)多く書き載せたる。 多くて見苦しからぬは、文車(ふぐるま)の文、塵塚(ちりづか)の塵。 --- 第73段 世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり。 あるにも過ぎて、人はものを言ひなすに、まして年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定りぬ。道々の物の上手のいみじきことなど、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神のごとくに言へども、道知れる人は、さらに信もおこさず。音に聞くと、見る時とは、何ごとも変るものなり。 かつあらはるるをもかへりみず、口にまかせて言ひ散らすは、やがて浮きたることと聞こゆ。また、われも、まことしからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく所々(ところどころ)うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る虚言は、恐しきことなり。 わがため、面目あるやうに言はれぬる虚言は、人、いたくあらがはず。みな人の興ずる虚言は、一人、「さもなかりしものを」と言はんも詮(せん)なくて、聞き居たるほどに、証人にさへなされて、いとど定りぬべし。 とにもかくにも、虚言多き世なり。たた常にある、珍しからぬことのままに心得たらん、よろづたがふべからず。下ざまの人の物語は、耳驚くことのみあり。よき人は、あやしきことを語らず。 かくは言へど、仏神の奇特・権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言を、ねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、おほかたはまことしくあひしらひて、ひとへに信ぜず、また、疑ひ嘲(あざけ)るべからず。 --- 第74段 蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ、南北に走(わし)る。高きあり、賤きあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰家あり。夕に寝(い)ねて、朝に起く。いとなむところ、何ごとぞや。生(しやう)をむさぼり、利を求めて、やむ時なし。 身を養ひて、何ごとをか待つ。期(ご)するところ、ただ老と死とにあり。その来たること、すみやかにして、念々の間にとどまらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者はこれを恐れず。名利(みやうり)におぼれて、先途(せんど)の近きことをかへりみねばなり。愚かなる人は、またこれを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化(へんげ)の理(ことわり)を知らねばなり。 --- 第75段 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただ一人あるのみこそよけれ。 世に従へば、心、外(ほか)の塵に奪はれて惑ひやすく。人にまじはれば、言葉、よその聞きに随(したが)ひて、さながら心にあらず。人に戯(たはぶ)れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと、定れることなし。分別みだりに起りて、得失やむ時なし。惑ひの上に酔(ゑ)へり、酔(ゑ)ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、呆(ほ)れて忘れたること、人、みなかくのごとし。 いまだまことの道を知らずとも、縁を離れて、身を閑(しづ)かにし、事にあづからずして、心をやすくせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。 「生活(しやうくわつ)・人事(にんじ)・伎能(ぎのう)・学問等の諸縁をやめよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。 --- 第76段 世のおぼえ、花やかなるあたりに、歎きも喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、聖法師(ひじりほふし)の交りて、言ひ入れたたずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。 さるべきゆゑありとも、法師は人にうとくてありなん。 --- 第77段 世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさに言ひあへること、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内(あない)知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。 ことに、かたほとりなる聖法師(ひじりほふし)などぞ、世の人の上は、わがごとく尋ね聞き、「いかで、かばかりは知りけん」と思ゆるまでぞ、言ひ散らすめる。 --- 第78段 今様(いまやう)のことどもの珍しきを、言ひ広めもてなすこそ、またうけられね。世に、こと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。 いまさらの人などのある時、ここもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、心得たる同志(どち)、かたはし言ひかはし、目見合せ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はすること、世なれず、よからぬ人の、必ずあることなり。 --- 第79段 何ごとも入りたたぬさましたるぞよき。 よき人は、知りたることとて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、よろづの道に心得たるよしの、さしいらへはすれ。 されば、世に恥づかしきかたもあれど、みづからも、「いみじ」と思へる気色(けしき)、かたくななり。 よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ。 --- 第80段 人ごとに、わが身にうときことをのみぞ好める。法師は兵の道を立て、夷(えびす)は弓引くすべ知らず、仏法知りたる気色(きそく)し、連歌し、管絃をたしなみあへり。されど、おろかなるおのれが道よりは、なほ人に思ひ侮られぬべし。 法師のみにもあらず、上達部・殿上人、かみざままでおしなべて、武を好む人多かり。百度(ももたび)戦ひて百度勝つとも、いまだ武勇(ぶよう)の名を定めがたし。そのゆゑは、運に乗じてあたを砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵(つはもの)尽き、矢きはまりて、つひに敵に降らず。死をやすくして後、始めて名をあらはすべき道なり。生けらんほどは武に誇るべからず。 人倫に遠く、禽獣に近きふるまひ、その家にあらずは、好みて益(やく)なきことなり。 --- 第81段 屏風・障子などの絵も文字も、かたくななる筆やうして書きたるが、見にくきよりも、宿の主(あるじ)のつたなく思ゆるなり。 おほかた、持てる調度にても、心劣りせらるることはありぬべし。さのみ良き物を持つべしとにもあらず。「損ぜざらんため」とて、品(しな)なく見にくきさまにしなし、「珍しからん」とて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好みなせるを言ふなり。 古めかしきやうにて、いたくことことしからず、費えもなくて、物がらの良きがよきなり。 --- 第82段 「羅(うすもの)の表紙は、とく損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下(かみしも)はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこそ。心まさりて思えしか。 一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを、見にくしといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具にととのへんとするは、つたなき者のすることなり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく思えしなり。 「すべて、何もみな、ことのととのほりたるは悪しきことなり。し残したるを、さてうち置きたるは、おもしろく、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず作り果てぬ所を残すことなり」と、ある人申し侍りしなり。 先賢の作れる内外(ないげ)の文にも、章段の欠けたることのみこそ侍れ。 --- 第83段 竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに、なにのとどこほりかおはせんなれども、「珍しげなし。一上(いちのかみ)にてやみなん」とて、出家し給ひにけり。 洞院左大臣殿、このことを甘心(かんしん)し給ひて、相国の望みおはせざりけり。 「亢竜の悔いあり」とかやいふこと侍るなり。月、満ちては欠け、もの、盛りにしては衰ふ。よろづのこと、先のつまりたるは、破に近き道なり。 --- 第84段 法顕三蔵(ほつけんさんんざう)の、天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひけることを聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、こころ弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「優(いう)に情けありける三蔵なか」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくく思えしか。 --- 第85段 人の心、素直(すなほ)ならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから正直の人、などかなからん。おのれ素直ならねど、人の賢を見て羨(うらや)むは尋常(よのつね)なり。 至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて、名を立てんとす」と謗(そし)る。おのれが心にたがへるによりて、この嘲(あざけ)りをなすにて知りぬ、この人は下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、仮にも賢を学ぶべからず。 狂人の真似(まね)もて大路を走らば、すなはち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥のたぐひ、舜を学ぶは舜の徒(ともがら)なり。 偽りても賢を学ばんを、賢と言ふべし。 --- 第86段 惟継中納言は、風月の才に富める人なり。 一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文 保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊(ごばう)をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。 いみじき秀句なりけり。 --- 第87段 下部(しもべ)に酒飲ますることは、心すべきことなり。 宇治に住み侍けるをのこ、京に、具覚房とてなまめきたる遁世の僧を、小舅(こじうと)なりければ、常に申しむつびけり。 ある時、迎へに馬をつかはしたりければ、「遥かなるほどなり。口づきのをのこに、まづ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受け、よよと飲みぬ。 太刀うちはきて、かひがひしげなれば、頼もしく思えて、召し具して行くほどに、木幡(こはた)のほどにて、奈良法師の、兵士(ひやうじ)あまた具してあひたるに、この男、立ち向ひて、「日暮れにたる山中に怪しきぞ。止まり候へ」と言ひて、太刀を引き抜きければ、人もみな、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺りて、「現(うつ)し心なく酔(ゑ)ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」と言ひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。 この男(おとこ)、具覚房にあひて、「御房は口惜しきことし給ひつるものかな。をのれ酔ひたること侍らず。高名(かうみやう)仕らんとするを、抜ける太刀、むなしくなし給ひつること」と怒りて、ひた切りに切り落しつ。 さて、「山だちあり」とののしりければ、里人おこりて出であへば、「われこそ山だちよ」と言ひて、走りかかりつつ切り回りけるを、あまたして手おほせ、打ち伏せて、縛りけり。馬は血付きて、宇治大路の家に走り入りたり。 あさましくて、をのこども、あまた走らかしたれば、具覚房はくちなし原にによひ臥したるを、求め出でて、かき持て来つ。 からき命生きたれど、腰切り損ぜられて、かたはになりにけり。 --- 第88段 ある者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮けることには侍らじなれども、四条大納言撰ばれたるものを、道風書かんこと、時代やたがひ侍らん。おぼつかなくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にありがたきものには侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵(ひさう)しけり。 --- 第89段 「奥山に、猫またといふものありて、人を食(くら)ふなる」と、人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経(へ)あがりて、猫またになりて、人捕ることはあなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、「一人歩(あり)かん身は、心すべきことにこそ」と思ひけるころしも、ある所にて、夜更くるまで連歌して、ただ一人帰りけるに、小川(こがは)の端(はた)にて、音に聞きし猫また、あやまたず足もとへふと寄り来て、やがてかきつくままに、頸(くび)のほどを食はんとす。 肝心(きもこころ)も失せて、防がんとするに、力もなく足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫また、よやよや」と叫べば、家々より、松ども灯して走り寄りて、見れば、このわたりに見知れる僧なり。 「こはいかに」とて、川の中より抱(いだ)き起したれば、連歌の懸物(かけもの)取りて、扇・小箱など懐(ふところ)に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有(けう)にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。 飼ひける犬の、暗けれど、主(ぬし)を知りて、飛び付きたりけるとぞ。 --- 第90段 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸(おとづるまる)、やすら殿といふ者を知りて、常に行き通ひしに、ある時、出でて帰り来たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり、まかりて候ふ」と言ふ。 「そのやすら殿は、男か法師か」と、また問はれて、袖かき合はせて、「いかが候ふらん。頭(かしら)をば見候はず」と答へ申しき。 などか、頭ばかりの見えざりけん。 --- 第91段 赤舌日(しやくぜちにち)といふこと、陰陽道には沙汰なきことなり。昔の人、これを忌まず。このごろ何者の言ひ出でて、忌み始めけるにか。「この日あること、末(すゑ)通らず」と言ひて、その日、言ひたりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりしことならずと言ふ、愚かなり。 吉日を選びてなしたるわざの、末通らぬを数へてみんも、また等しかるべし。そのゆゑは、無常変易の境(さかひ)、有りと見るものも存ぜず、始あることも終りなし。志は遂げず、望みは絶えず、人の心、不定(ふぢやう)なり。ものみな幻化(げんけ)なり。何ごとか、しばらくも住(ぢゆう)する。この理(ことわり)を知らざるなり。 「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なり」といへり。吉凶は人によりて日によらず。 --- 第92段 ある人、弓射ることを習ふに、もろ矢をたばさみて的に向ふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢に等閑(なほざり)の心あり。毎度ただ、『得失なく、この一矢に定むべし』と思へ」と言ふ。 わづかに二つの矢、師の前にて、一つをおろかにせんと思はんや。懈怠(けだい)の心、みづから知らずといへども、師、これを知る。 この戒め、万事にわたるべし。道を学する人、夕(ゆふべ)には朝(あした)あらんことを思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、重ねてねんごろに修(しゆ)せんことを期(ご)す。いはんや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることの、はなはだ難(かた)き。 --- 第93段 「牛を売る者あり。買ふ人、『明日、その値(あたひ)をやりて、牛を取らん』と言ふ。夜の間(ま)に、牛死ぬ。買はんとする人に利あり。売らんとする人に損あり」と語る人あり。 これを聞きて、かたへなる者のいはく、「牛の主(ぬし)、まことに損ありといへども、また大きなる利あり。そのゆゑは、生あるもの、死の近きことを知らざること、牛すでにしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金よりも重し。牛の値、鵞毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず」と言ふに、みな人嘲(あざけ)りて、「その理(ことわり)は、牛の主に限るべからず」と言ふ。 またいはく、「されば、人、死を憎まば、生(しやう)を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく、ほかの楽しびを求め、この財(たから)を忘れて、あやうく他の財をむさぼるには、志満つことなし。生ける間、生を楽しま ずして、死に臨みて、死を恐れば、この理あるべからず。人みな生を楽しまざるは、死を恐れざるゆゑなり。死を恐れざるにはあらず。死の近きことを忘るるなり。もしまた、生死(しやうじ)の相にあづからずといはば、まことの理を得たりと言ふべし」と言ふに、人いよいよ嘲る。 --- 第94段 常磐井相国(ときはゐのしやうこく)、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面(ほくめん)あひ奉りて、馬より下りたりけるを、相国、後に、「北面なにがしは、勅書を持ちながら下馬し侍りし者なり。かほどの者、いかでか君に仕(つか)うまつり候ふべき」と申されければ、北面を放たれにけり。 「勅書を馬の上ながら、ささげて見せ奉るべし。下るべからず」とぞ。 --- 第95段 「箱のくりかたに緒を付くること、いづかたに付け侍るべきぞ」と、ある有職(いうそく)の人に尋ね申し侍りしかば、「軸に付け、表紙に付くること、両説なれば、いづれも難なし。文(ふみ)の箱は多くは右に付く。手箱には軸に付くるも常のことなり」と仰せられき。 --- 第96段 めなもみといふ草あり。くちはみに刺されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、すなはち癒ゆとなん。見知りておくべし。 --- 第97段 その物に付きて、その物を費(つひや)し、損(そこな)ふ物、数を知らずあり。身に虱(しらみ)あり。家に鼠あり。国に賊あり小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。 --- 第98段 尊き聖(ひじり)の言ひ置けることを書き付けて、一言芳談とかや名付けたる草子を見侍りしに、心にあひて思えしことども。 * 「しやせまし、せずやあらまし」と思ふことは、おほやうは、せぬはよき也。 * 後世を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一も持つまじきことなり。持経・本尊に至るまで、良き物を持つ、よしなきことなり。 * 遁世者は、なきにことかけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。 * 上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。 * 仏道を願ふといふは、別のことなし。暇(いとま)ある身になりて、世のことを心にかけぬを第一の道とす。 このほかもありしことども、覚えず。 --- 第99段 堀河相国は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差を好み給ひけり。 御子基俊卿を大理になして、庁務行はれけるに、「庁屋の唐櫃(からびつ)見苦し」とて、めでたく作り改めらるべきよし、仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず。数百年を経たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められがたきよし、故実の諸官ら申しければ、そのことやみにけり。 --- 第100段 久我相国は、殿上にて水を召しけるに、主殿司(とのもづかさ)、土器(かはらけ)を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。 --- 第101段 ある人、任大臣の節会の内弁を勤められけるに、内記の持ちたる宣命を取らずして、堂上せられにけり。きはまりなき失礼なれども、立ち帰り取るべきにもあらず。 思ひわづらはれけるに、六位外記康綱、衣かづきの女房を語らひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせけり。 いみじかりけり。 --- 第102段 尹大納言光忠入道、追儺(ついな)の上卿(しやうけい)を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士(ゑじ)の、よく公事(くじ)になれたる者にてぞありける。 近衛殿、着陣し給ひける時、軾(しき・ひざつき)を忘れて、外記を召されければ、火焚きて候ひけるが、「まづ、軾を召さるべくや候らん」と忍びやかにつぶやきける。いとをかしかりけり。 --- 第103段 大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれけるところへ、医師忠守(くすしただもり)参りたりけるに、侍従大納言公明卿(きんあきらのきやう)、「わが朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐瓶子(からへいじ)」と解きて、笑ひ合はれければ、腹立ちてまかり出でにけり。 --- 第104段 荒れたる宿の人目なきに、女のはばかることあるころにて、つれづれとこもり居たるを、ある人、「とぶらひ給はん」とて、夕月夜(ゆふづくよ)のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはし たるに、犬のことことしくとがむれば、下衆女(げすをんな)の出でて、「いづくよりぞ」といふに、やがて案内(あない)せさせて、入り給ひぬ。心細げなるありさま、「いかで過ぐすらん」と、いと心苦し。 あやしき板敷に、しばし立ち給へるを、もてしづめたるけはひの若やかなるして、「こなた」といふ人あれば、たて開け所狭(ところせ)げなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。 内のさまは、いたくすさまじからず。心にくく、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、にはかにしもあらぬ匂ひ、いとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞ降る。御車は門の下に。御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞ、安き寝(い)は寝(ぬ)べかめる」と、うちささめくも、忍びたれど、ほどなければ、ほの聞こゆ。 さて、このほどのことども、細やかに聞こえ給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。来し方行末かけて、まめやかなる御物語に、この度(たび)は、鳥も花やかなる声にうちしきれば、「明けはなるるにや」と聞き給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙(ひま)白くなれば、忘れがたきことなど言ひて、立ち出で給ふに、梢(こずゑ)も庭もめづらしく青みわたりたる、卯月ばかりの曙(あけぼの)、艶(えん)にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るるまで、今も見送り給ふとぞ。 --- 第105段 北の屋かげに消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、くまなくはあらぬに、人離れなる御堂の廊(らう)に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女と長押(なげし)に尻かけて、物語するさまこそ、何事にかあらん、尽きすまじけれ。 かぶし・形など、いとよしと見えて、えもいはぬ匂ひの、さと香りたるこそをかしけれ。けはひなど、はつれはつれ聞こえたるもゆかし。 --- 第106段 高野の証空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の行き合ひたりけるが、口引きける男、悪しく引きて、聖の馬を堀へ落してげり。 聖、いと腹悪しくとがめて、「こは、希有(けう)の狼藉(らうぜき)かな。四部の弟子はよな、比丘(びく)よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞(うばそく)は劣り、優婆塞より優婆夷(うばい)は劣れり。かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の悪行なり」と言はれければ、口引きの男、「いかに仰せらるるやらん。えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほ息まきて、「何といふぞ、非修非学の男」と荒らかに言ひて、「きはまりなき放言しつ」と思ひける気色にて、馬引き返して、逃げられにけり。 尊かりける諍(いさか)ひなるべし。 --- 第107段 「女のもの言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男たちの参らるるごとに、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて、こころみられけるに、なにがしの大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。『数ならぬ身』、むつかし」など、さだめあはれけり。 すべて、男(をのこ)をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、幼くて安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひけるゆゑに、御言葉などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いと恥かしく、心づかひせらるる」とこそ仰せられけれ。女の無き世なりせば、衣文(えもん)も冠(かうぶり)も、いかにもあれ、ひき繕ろふ人も侍らじ。 「かく、人に恥ぢらるる女、いかばかりいみじきものぞ」と思ふに、女の性(しやう)はみなひがめり。人我(にんが)の相深く、貪欲(とんよく)はなはだしく、物の理(ことわり)を知らず、ただ迷ひの方に心も早く移り、言葉もたくみに、苦しからぬことをも問ふ時は言はず、用意あるかと見れば、また、あさましきことまで、問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れることは、男の智恵にも勝りたるかと思へば、そのこと、あとより現はるるを知らず。 素直ならずして拙きものは女なり。その心にしたがひて、よく思はれんことは、心憂かるべし。されば、何かは女の恥かしからん。もし、賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。 ただ迷ひを主(あるじ)として、かれにしたがふ時、やさしくも、おもしろくも思ゆべきことなり。 --- 第108段 寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。 愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽(かろ)しといへども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の一銭を惜しむ心、切なり。 刹那覚えずといへども、これを運びて止(や)まざれば、命を終ふる期(ご)、たちまちに至る。されば、道人(だうにん)は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、むなしく過ぐることを惜しむべし。もし、人来たりて、「わが命、明日は必ず失はるべし」と告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何ごとをか頼み、何ごとをか営ままん。われらが生ける今日の日、何ぞその時節に異らん。 一日のうちに、飲食(おんじき)・便利(べんり)・睡眠(すいめん)・言語(ごんご)・行歩(ぎやうぶ)、やむことを得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇、いくばくならぬうちに、無益のことをなし、無益のことを言ひ、無益のことを思惟(しゆい)して、時を移すのみならず、日を消し、月をわたりて、一生を送る。もつとも愚かなり。 謝霊運は法華の筆受なりしかども、心常(こころつね)に風雲の思ひを観ぜしかば、恵遠、白蓮の交はりを許さざりき。 しばらくもこれなき時は死人に同じ。光陰、何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止(や)まん人は止み、修せん人は修せよとなり。 --- 第109段 高名(かうみやう)の木登りといひし男(をのこ)、人をおきてて、高き木に登(のぼ)せて、梢(こずゑ)を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るる時に、軒長(のきたけ)ばかりになりて、「誤ちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、おのれが恐れ侍れば申さず。誤ちは、やすき所になりて、かならず仕(つかまつ)ることに候ふ」と言ふ。 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、かたき所を蹴出だして後、やすく思へば、かならず落つと侍るやらん。 --- 第110段 双六の上手といひし人に、その行(てだて)を問ひ侍りしかば、「『勝たん』と打つべからず。『負けじ』と打つべきなり。『いづれの手か、とく負ぬべき』と案じて、その手を使はずして、一目なりとも遅く負くべき手につくべし」と言ふ。 道を知れる教へ、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。 --- 第111段 「囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重五逆(しぢゆうごきやく)にもまされる悪事とぞ思ふ」と、ある聖(ひじり)の申ししこと、耳にとどまりて、いみじく思え侍る。 --- 第112段 明日は遠国へ赴くべしと聞かん人に、心閑(しづ)かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。 にはかの大事をも営み、切(せち)に歎くこともある人は、他のことを聞き入れず、人の愁へ喜びをも問はず。問はずとて、「などや」と恨むる人もなし。さらば、年もやうやうたけ、病(やまひ)にもまつはれ、いはんや、世をも遁れたらん人、またこれに同じかるべし。 人間の儀式、いづれのことか、去りがたからぬ。世俗の黙(もだ)しがたきにしたがひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇(いとま)もなく、一生は雑事の小節に障(さ)へられて、むなしく暮れなん。 日暮れ塗(みち)遠し。わが生、すでに蹉跎(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。 この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ。うつつなし、情なしとも思へ。毀(そし)るとも苦しまじ。誉(ほ)むとも聞き入れじ。 --- 第113段 四十にも余りぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあらんはいかがはせん、言(こと)にうち出でて、男女のこと、人の上をも言ひたはぶるこそ、にげなく、見苦しけれ。 おほかた、聞きにくく見苦しきこと、老人の若き人に交はりて、興あらんともの言ひゐたる。数ならぬ身にて、世のおぼえある人を、隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に酒宴好み、「客人に饗応せん」と、きらめきたる。 --- 第114段 今出川の大臣殿(おほいどの)、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる)、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板まで、ささとかかりけるを、為則、御車のしりに候ひけるが、「希有の童(わらは)かな。かかる所にて、御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、大臣殿、御気色悪しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭を打ち当てられにけり。 この高名の賽王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は「ひささち」、一人は「ことつち」、一人は「はふはら」。一人は「をとうし」と付けられけり。 --- 第115段 宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外(ほか)より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろおし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、ここに候ふ。かくのたまふは誰」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、『その人に会ひ奉りて、恨み申さばや』と思ひて、尋ね申すなりといふ。 いろをし、「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さること侍りき。ここにて対面し奉らば、道場をけがし侍るべし。前の河原へ参り合はん。あなかしこ、脇さしたち、いづかたをもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出で合ひて、心行くばかりに貫き合ひて、ともに死ににけり。 ぼろぼろといふ者、昔はなかりけるにや。近き世に、「ぼろんじ」、「梵字」、「漢字」などいひける者、その始めなりけるとかや。 世を捨てたるに似て、我執深く、仏道を願ふに似て、闘諍(とうじやう)をこととす。放逸無慙(はういつむざん)のありさまなれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたの、いさぎよく思えて、人の語りしままに書き付け侍るなり。 --- 第116段 寺院の号、さらぬよろづの物にも、名を付くること、昔の人は、少しも求めず、ただありのままに、やすく付けけるなり。 このごろは、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞こゆる。いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なきことなり。 何事も、めづらしきことを求め、異説を好むは、浅才の人の必ずあることなりとぞ。 --- 第117段 友とするに悪き者、七つあり。一つには高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人。四つには酒を好む人。五には武(たけ)く勇める兵(つはもの)。六つには虚言(そらごと)する人。七つには欲深き人。 良き友、三つあり。一つには物くるる友。二には医師(くすし)。三つには智恵ある友。 --- 第118段 鯉の羹(あつもの)食ひたる日は、鬢(びん)そそけずとなん。膠(にかは)にも作るものなれば粘りたるものにこそ。 鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉(きじ)、双(さう)なきものなり。雉・松茸などは、御湯殿(みゆどの)の上にかかりたるも苦しからず。その外(ほか)は心憂きことなり。 中宮の御方の御湯殿の上の黒御棚(くろみだな)に、雁の見えつるを、北山入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて御文にて、「かやうの物、さながらその姿にて御棚にゐて候ひしこと、見ならはず、さま悪しきことなり。はかばかしき人のさぶらはぬゆゑにこそ」など、申されたりけり。 --- 第119段 鎌倉の海に、鰹(かつを)といふ魚は、かの境(さかひ)には、双(さう)なきものにて、このごろもてなすものなり。 それも、鎌倉の年寄りの申し侍りしは、「この魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭(かしら)は下部(しもべ)も食はず。切り捨て侍りしものなり」と申しき。 かやうのものも、世の末になれば、上(かみ)ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。 --- 第120段 唐(から)の物は、薬のほかは無くともこと欠くまじ。書(ふみ)どもは、この国に多く広まり ぬれば、書きも写してん。もろこし舟の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭(せ)く渡し持て来る、いと愚かなり。 「遠き物を宝とせず」とも、また「得がたき貨(たから)を貴まず」ともと、文にも侍るとかや。 --- 第121段 養ひ飼ふものは、馬・牛。つなぎ苦しむるこそ痛ましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。犬は守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家ごとにあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなん。 そのほかの鳥獣、すべて用なきものなり。走る獣(けだもの)は檻に籠め、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翅(つばさ)を切り、籠(こ)に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁へ、やむときなし。その思ひ、わが身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、これを楽しまんや。 生を苦しめて、目を喜ばしむるは、桀(けつ)・紂(ちう)が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。 「およそ、珍しき禽(とり)、あやしき獣、国に育(やしな)はず」とこそ、文にも侍るなれ。 --- 第122段 人の才能は、文あきらかにして、聖の教へを知れるを第一とす。 次には手書くこと、むねとすることはなくとも、これを習ふべし。学問に便あらんためなり。 次に医術を習ふべし。身を養ひ、人を助け、忠孝のつとめも、医にあらずはあるべからず。 次に弓射(ゆみい)、馬に乗ること、六芸に出だせり。必ずこれをうかがふべし。 文・武・医の道、まことに欠けてはあるべからず。これを学ばんをば、いたづらなる人と言ふべからず。 次に食は人の命なり。よく味を調(ととの)へ知れる人、大きなる徳とすべし。 次に、細工。よろづの要多し。 このほかのことども、多能は君子の恥づるところなり。詩歌に巧みに、糸竹に妙なるは、幽玄の道、君臣これを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むること、やうやく愚かなるに似たり。金(こがね)はすぐれたれども、鉄(くろがね)の益(やく)多きにしかざるがごとし。 --- 第123段 無益のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事(ひがごと)する人とも言ふべし。国のため、君のために、止(や)むことを得ずして、なすべきこと多し。その余りの暇(いとま)、いくばくならず。 思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、閑(しづ)かに過ぐすを楽とす。ただし、人、みな病あり。病に冒されぬれば、その愁へ忍びがたし。医療を忘るべからず。 薬を加へて、四つのこと求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つのほかを求め営むを驕(おご)りとす。四つのこと倹約ならば、誰(たれ)の人か足らずとせん。 --- 第124段 是法法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠を立てず、ただ明け暮れ念仏して、やすらかに世を過ぐすありさま、いとあらまほし。 --- 第125段 人におくれて、四十九日の仏事に、ある聖を請じ侍りしに、説法いみじくして、みな人、涙を流しけり。導師帰りて後、聴聞(ちやうもん)の人ども、「いつよりも、ことに今日は尊く思え侍りつる」と感じあへりし返りごとに、ある者のいはく、「何とも候へ、あれほど唐(から)の狗(いぬ)に似候ひなんうへは」と言ひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。さる導師の讃めやうやはあるべき。 また、「人に酒勧むるとて、おのれまづたべて、人にしひ奉らんとするは、剣にて人を斬らんとするに似たることなり。二方(ふたかた)に刃付きたるものなれば、持たぐる時、まづわが頸を斬るゆゑに、人をばえ斬らぬなり。おのれまづ酔(ゑ)ひて臥しなば、人はよも召さじ」と申しき。剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。 --- 第126段 「博奕(ばくち)の負け極まりて、残りなく打ち入れんとせんにあひては、打つべからず。たち返り、続きて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、良き博奕といふなり」と、ある者申しき。 --- 第127段 改めて益(やく)なきことは、改めぬをよしとするなり。 --- 第128段 雅房大納言は、才かしこく、よき人にて、「大将にもなさばや」と思しけるころ、院の近習(きんじゆ)なる人、「ただ今、あさましきことを見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を切り侍りつるを、中垣の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく憎く思し召して、日ごろの御気色(みけしき)もたがひ、昇進もし給はざりけり。 さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足はあとなきことなり。虚言(そらごと)は不便(ふびん)なれども、かかることを聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊きことなり。 おほかた、生ける物を殺し、いため、戦はしめて遊び楽しまん人は、畜生残害(ちくしやうざんがい)のたぐひなり。よろづの鳥獣、小さき虫までも、心をとめてありさまを見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦をともなひ、妬み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、ひとへに愚痴なるゆゑに、人よりもまさりてはなはだし。かれに苦しみを与へ、命を奪はんこと、いかでかいたましからざらん。 すべて一切の有情(うじやう)を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。 --- 第129段 顔回は、志、人に労をほどこさじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐(しへた)ぐること、賤しき民の志をも、奪ふべからず。 また、いときなき子を、すかし脅し、言ひ恥づかしめて。興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、ことにもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥づかしく、あさましき思ひ、まことに切(せち)なるべし。これを悩まして興ずること、慈悲の心にあらず。 おとなしき人の、喜び、怒り、悲しび、楽しぶも、みな虚妄なれども、誰か実有(じつう)の相に着(ぢやく)せざる。身をやぶるよりも、心をいたましむるは、人をそこなふこと、なほはなはだし。 病を受くることも、多くは心より受く。外(ほか)より来たる病は少なし。薬を飲みて、汗を求むるには、しるしなきことあれども、一旦恥ぢ恐るることあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭(はくとう)の人となりし例(ためし)、なきにあらず。 --- 第130段 物に争はず、おのれを枉(ま)げて人に従ひ、わが身を後(のち)にして、人を先にするにはしかず。 よろづの遊びにも、勝ち負けを好む人は、勝ちて興あらんためなり。おのれが芸の勝(まさ)りたることを喜ぶ。されば、負けて興なく思ゆべきこと、また知られたり。「われ負けて、人を喜ばしめん」と思はば、さらに遊びの興なかるべし。人に本意(ほい)なく思はせて、わが心を慰まんこと、徳にそむけり。むつましき中に戯(たは)ぶるるも、人を謀り欺きて、おのれが智の勝りたることを興とす。これまた礼にあらず。されば、はじめ興宴よりおこりて、長き恨みを結ぶたぐひ多し。これみな、争ひを好む失なり。 人に勝らんことを思はば、ただ学問して、その智を人に勝らんと思ふべし。道を学ぶとならば、善にほこらず、ともがらに争ふべからずといふことを知るべきゆゑなり。 大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、ただ学問の力なり。 --- 第131段 貧しき者は財(たから)をもて礼とし、老いたる者は力をもて礼とす。 おのが分を知りて、及ばざる時は、すみやかに止むを智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして、しひて励むは、おのれが誤なり。 貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。 --- 第132段 鳥羽の作道(つくりみち)は、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず。昔よりの名なり。 元良親王、元日の奏賀の声、はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作道まで聞こえけるよし、李部王の記に侍るとかや。 --- 第133段 夜の御殿(おとど)は東御枕(ひがしみまくら)なり。おほかた、東を枕として、陽気を受くべきゆゑに。孔子も東首し給へり。寝殿のしつらひ、あるいは南枕、常のことなり。 白河院は、北首に御寝(きよしん)なりけり。「北は忌むることなり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡(おんあと)にせさせ給ふこと、いかが」と、人申しけり。 ただし、太神宮の遥拝は巽(たつみ)に向はせ給ふ。南にはあらず。 --- 第134段 高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふ者、ある時、鏡を取りて、顔をつくづくと見て、わが形の醜(みにく)く浅ましきことを、あまりに心憂く思えて、鏡さへうとましき心地し ければ、その後、長く鏡を恐れて、手にだに取らず、さらに人に交はることなし。御堂の勤めばかりにあひて籠り居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく思えしか。 賢(かしこ)げなる人も、人の上をのみはかりて、おのれをば知らざるなり。われを知らずして、ほかを知るといふ理(ことはり)、あるべからず。されば、おのれを知るを、物知れる人と言ふべし。 形醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙(つたな)きをもしらず、数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病のをかすをも知らず、死の近きことをも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず、身の上の非を知らねば、まして、ほかのそしりを知らず。 ただ、形は鏡に見ゆ。年は数へて知る。わが身のこと知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。 形を改め、齢(よはひ)を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、なんぞやがて退かざる。老いぬと知らば、なんぞしづかに身をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、なんぞ茲(これ)を念(おも)ふこと茲(これ)にあらざる。 すべて、人に愛楽(あいげう)せられずして、衆に交はるは恥なり。形醜く心おくれにして、出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪(ふかん)の芸をもちて堪能(かんのう)の座につらなり、雪の頭(かしら)をいただきて、盛りなる人に並び、いはんや、及ばざることを望み、かなはぬことを憂へ、来たらざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず。貪(むさぼ)る心に引かれて、みづから身を恥づかしむるなり。貪ることの止まざるは、命を終ふる大事、今ここに来たれりと、確かに知らざればなり。 --- 第135段 資季(すけすゑ)大納言入道とかや聞えける人、具氏(ともうぢ)宰相中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何ごとなりとも、答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかが侍らん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしきことは、片端(かたはし)も学(まね)び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそぞろごとの中に、おぼつかなきことをこそ問ひ奉らめ」と申されけり。 「まして、ここもとの浅きことは、何ごとなりとも、明らめ申さん」と言はれければ、近習(きんじふ)の人々、女房なども、興あるあらがひなり。同じくは、御前にて争はるべし。負けたらん人は、供御(ぐご)をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、具氏、「幼くより聞きならひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやうきつにのをかなかくぼれいりくれんとう』と申すことは、いかなる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、大納言入道、はたとつまりて、「これはそぞろごとなれば、言ふにも足らず」と言はれけるを、「もとより深き道は知り侍らず。『そぞろごとを尋ね奉らん』と定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負になりて。所課(しよくわ)いかめしくせられたりけるとぞ。 --- 第136段 医師篤成(くすしあつしげ)、故法皇の御前にさぶらひて、供御(ぐご)の参りけるに、「今、参り侍る供御の色々を、文字も功能(くのう)も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府、参り給ひて、「有房、ついでにもの習ひ侍らん」とて、「まづ、『しほ』といふ文字はいづれのへんにか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候ふ」と申したりければ、「才のほど、すでにあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、どよみになりて、まかり出でにけり。 --- 第137段 花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨に向ひて月を恋ひ、たれこめて春の行方(ゆくへ)知らぬも、なほあはれに情深し。咲きぬべきほどの梢(こずゑ)、散りしをれたる庭などこそ、見所おほけれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて、まからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに、劣れることかは。花の散り、月の傾(かたぶ)くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝、散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。 よろづのことも、始終こそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を一人明かし、遠き雲井(くもゐ)を思ひやり、浅茅(あさぢ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。 望月のくまなきを、千里の外(ほか)まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)・白樫(しらかし)などの、濡れたるやうなる柴 の上にきらめきたるこそ、身にしみて、「心あらん友もがな」と、都恋しう思ゆれ。 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)の内ながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。 よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。片田舎(かたゐなか)の人こそ、色こくよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さしひたして、雪には下り立ちて跡付けなど、よろづの物、よそながら見ることなし。 さやうの人の祭見しさま、いと珍らかなりき。「見ごと、いと遅し。そのほどは桟敷不用なり」とて、奥なる屋にて、酒飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」と言ふ時に、おのおの肝つぶるるやうに争ひ走り上りて、落ちぬべきまで簾(すだれ)張り出でて、押し合ひつつ、「一事も見漏らさじ」とまぼりて、「とあり、かかり」と物ごとに言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。ただ、物をのみ見んとするなるべし。 都の人のゆゆしげなるは、睡(ねぶ)りていとも見ず。若く末々(すゑずゑ)なるは、宮仕へに立ち居、人の後ろにさぶらふは、さま悪しくも及びかからず、わりなく見んとする人もなし。何となく葵(あふひ)かけわたしてなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それか、かれか、など思ひ寄すれば、牛飼・下部(しもべ)などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行き交ふ。見るもつれづれならず。暮るるほどには、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづ方へか行きつらん、ほどなくまれになりて、車どものらうがはしさもすみぬれば、簾・畳も取り払ひ、目の前に寂しげになりゆくこそ、世の例(ためし)も思ひ知られてあはれなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。 かの桟敷の前を、ここら行き交ふ人の、見知れるがあまたあるにて知りぬ。世の人数も、さのみは多からぬにこそ。この人、みな失せなん後(のち)、わが身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大きなる器(うつはもの)に水を入れて、細き穴を開けたらんに、しただること少なしといふとも、おこたる間なく漏りゆかば、やがて尽きぬべし。 都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日(ひとひ)に一人・二人のみならんや。鳥部野(とりべの)・舟岡(ふなをか)、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、棺をひさぐ者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひがけぬは死期(しご)なり。今日まで逃(のが)れ来にけるは、ありがたき不思議なり。 しばしも、世をのどかには思ひなんや。継子立(ままこだて)といふものを、双六(すぐろく)の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られんこと、いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、そのほかは逃れぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ間抜き行くほどに、いづれも逃れざるに似たり。 兵の軍(いくさ)に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世をそむける草の庵には、閑(しづ)かに水石(すいせき)をもてあそびて、これをよそに聞くと思へるは、いとはかなし。 閑かなる山の奥、無常の敵(かたき)、競(きほ)ひ来たらざらんや。その死にのぞめること、軍(いくさ)の陣に進めるに同じ。 --- 第138段 「祭過ぎぬれば、後(のち)の葵(あふひ)不用(ふよう)なり」とて、ある人の、御簾(みす)なるをみな取らせられ侍りしが、色もなく思え侍りしを、「よき人のし給ふことなれば、さるべきにや」と思ひしかど、周防内侍が、   かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵のかれ葉なりけり と詠めるも、母屋の御簾に、葵のかかりたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。 古き歌の詞書(ことばがき)に、「枯れたる葵にさしてつかはしける」とも侍り。枕草子にも、「来しかた恋しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。鴨長明が四季物語にも、「玉垂(たまだれ)に後(のち)の葵はとまりけり」とぞ書ける。おのれと枯るるだにこそあるを、名残なく、いかが取り捨つべき。 御帳にかかれる薬玉(くすだま)も、九月九日、菊に取り替へらるると言へば、菖蒲(さうぶ)は菊の折までもあるべきにこそ。 枇杷皇太后宮、かくれ給ひて後(のち)、古き御帳の内に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ根(ね)をなほぞかけつる」と、弁の乳母の言へる返りごとに、「あやめの草はありながら」とも、江侍従が詠みしぞかし。 --- 第139段 家にありたき木は、松・桜。松は五葉(ごえふ)もよし。花は一重(ひとへ)なるよし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の桜、みな一重にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくら)、またすさまじ。虫の付きたるもむつかし。 梅は白き・薄紅梅(うすこうばい)。一重なるがとく咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめで たきも、みなをかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、けおされて、枝にしぼみ付きたる、心憂し。「一重なるが、まづ咲きて散りたるは、心とく、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本侍るめり。 柳、またをかし。卯月ばかりの若楓(わかかへで)、すべてよろづの花・紅葉にもまさりて、めでたきものなり。橘(たちばな)・桂(かつら)、いづれも木はもの古り大きなるよし。 草は山吹・藤・杜若(かきつばた)・撫子(なでしこ)。池には蓮(はちす)。秋の草は荻(をぎ)・薄(すすき)・桔梗(きちかう)・萩(はぎ)・女郎花(をみなへし)・藤袴(ふぢばかま)・紫苑(しをに)・吾亦紅(われもかう)・苅萱(かるかや)・竜胆(りんだう)・菊。黄菊(きぎく)も。蔦(つた)・葛(くず)・朝顔、いづれも、いと高からず、ささやかなる垣にしげからぬ、よし。 このほかの、世にまれなる物、唐(から)めきたる名の、聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。おほかた、何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうのもの、無くてありなん。 --- 第140段 身死して財(たから)残ることは、智者のせざるところなり。よからぬ物、貯へ置きたるもつたなく、よき物は、「心をとめけん」とはかなし。 こちたく多かる、まして口惜し。「われこそ得め」など言ふ者どもありて、あとに争ひたる、さま悪し。後は誰(たれ)にと心ざす物あらば、生けらんうちにぞ譲るべき。 朝夕、無くてかなはざらん物こそあらめ、そのほかは、何も持たでぞあらまほしき。 --- 第141段 悲田院の尭蓮上人は、俗姓(ぞくしやう)は三浦の某(なにがし)とかや、双(さう)なき武者なり。 故郷(ふるさと)の人の来たりて、物語すとて、「吾妻人(あづまびと)こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、実(まこと)なし」と言ひしを、聖、「それはさこそ思すらめども、おのれは都に久しく住みて、なれて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて、心柔らかに、情あるゆゑに、人の言ふほどのこと、けやけく否(いな)びがたくて、よろづえ言ひ放たず。心弱くことうけしつ。『偽りせん』とは思はねど、乏(とも)しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意(ほい)通らぬこと多かるべし。吾妻人は、わがかたなれど、げには、心の色なく、情おくれ、ひとへにすくよかなるものなれば、始めより『否(いな)』と言ひてやみぬ。にぎはひ豊かなれば、人には頼まるるぞかし」と、ことはられ侍りしこそ。 この聖、声うちゆがみ、荒々しくて、「聖教の細やかなることわり、いとわきまへずもや」と思ひしに、この一言の後、心にくくなりて、多かるなかに、寺をも住持せらるるは、「かく柔らぎたる所ありて、その益もあるにこそ」と思え侍りし。 --- 第142段 心なしと見ゆる者も、よき一言(ひとこと)言ふものなり。 ある荒夷(あらえびす)の恐ろしげなるが、かたへにあひて、「御子はおはすや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは知り給はじ。情けなき御心にぞものし給ふらんと、いと恐ろし。子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべきことなり。恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。 世を捨てたる人の、よろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづにへつらひ、望み深きを見て、無下に思ひ下すは僻事(ひがごと)なり。その人の志になりて思へば、まことにかなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべきことなり。 されば、盗人を戒め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の、飢ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒(つね)の産なきときは、恒(つね)の心なし。人きはまりて盗みす。世治まらずして、凍餒(とうたい)の苦しみあらば、科(とが)の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはんこと、不便のわざなり。 さて、いかがして人を恵むべきとならば、上のおごり費す所をやめ、民を撫で、農を勧めば、下に利あらんこと、疑ひあるべからず。衣食尋常(よのつね)なる上に、僻事せん人をぞ、まことの盗人とは言ふべき。 --- 第143段 人の終焉のありさまのいみじかりしことなど、人の語るを聞くに、ただ、「閑(しづ)かにして乱れず」と言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も、振舞ひも、おのれが好むかたに讃めなすこそ、「その人の日ごろの本意にもあらずや」と思ゆれ。 この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士もはかるべからず。おのれ違(たが)ふ所なくば、人の見聞にはよるべからず。 --- 第144段 栂尾(とがのを)の上人、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬洗ふおのこ、「あしあし」と言ひてければ、上人、立ち止まりて、「あな尊(たふと)や。宿執開発(しゆくしふかいほつ)の人かな。阿字阿字(あじあじ)と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりに尊く思ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿(ふしやうどの)の御馬に候ふ」と答へけり。 「こは、めでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。嬉しき結縁(けちえん)をもしつるかな」とて、感涙をのごはれけるとぞ。 --- 第145段 御随身秦重躬(はたのしげみ)、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よくよく慎み給へ」と言ひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。「道に長じぬる一言、神のごとし」と、人、思へり。 「さて、いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「きはめて桃尻にして、沛艾(はいがい)の馬を好みしかば、この相を負(おほ)せ侍りき。いつかは申し誤りたる」とぞ言ひける。 --- 第146段 明雲座主、相者にあひ給ひて、「おのれ、もし、兵仗(ひやうぢやう)の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「まことにその相おはします」と申す。「いかなる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害の恐れおはしますまじき御身にて、かりにもかく思し寄りて尋ね給ふ。これ、すでにその危ぶみのきざしなり」と申しけり。 はたして、矢に当りて失せ給ひにけり。 --- 第147段 灸治(きうぢ)、あまた所になりぬれば、神事に穢れありといふこと、近く人の言ひ出だせるなり。格式(きやくしき)等にも見えずとぞ。 --- 第148段 四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気の事あり。必ず灸すべし。 --- 第149段 鹿茸(ろくじよう)を鼻に当てて嗅ぐべからず。小さき虫ありて、鼻より入りて、脳を食(は)むと言へり。 --- 第150段 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。 いまだ堅固(けんご)かたほなるより、上手の中にまじりて、毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして、年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざるよりは、つひに上手の位に至り、得たけ、人に許されて、双なき名を得ることなり。 天下の物の上手といへども、始めは不堪(ふかん)の聞こえもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟(おきて)正しく、是を重くして、放埒(はうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)にて、万人の師となること、諸道変るべからず。 --- 第151段 ある人のいはく、「年五十になるまで、上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行く末もなし。老人のことをば、人もえ笑はず。衆に交はりたるも、あいなく見苦し。おほかた、よろづのしわざは止めて、暇あるこそ、めやすくあらまほしけれ。世俗のことに携(たづさ)りて、生涯を暮らすは、下愚の人なり。ゆかしく思えんことは、学び聞くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして止むべし。もとより、望むことなくして止まんは、第一のことなり」。 --- 第152段 西大寺の静然上人(じやうねんしやうにん)、腰かがまり、眉白く、まことに徳たけたるありさまにて、内裏へ参られたりけるを、西園寺内大臣殿、「あな尊(たうと)のけしきや」とて、信仰の気色(きそく)ありければ、資朝卿、これを見て、「年の寄りらるに候ふ」と申されけり。 後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるを引かせて、「この気色、尊く見えて候ふ」とて、内府へ参らせられたりけるとぞ。 --- 第153段 為兼大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率(ゐ)て行きければ、資朝卿、一条わたりにて、これを見て、「あなうらやまし。世にあらん思ひ出で、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。 --- 第154段 この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者どもの集まり居たるが、手も足もねぢゆがみ、うちかへりて、いづくも不具に異様(ことやう)なるを見て、「とりどりにたぐひなき曲者(くせもの)なり。もつとも愛するに足れり」と思ひて、まもり給ひけるほどに、やがて、その興尽きて、見にくくいぶせく思えければ、ただ素直(すなほ)にめづらしからぬものにはしかず」と思ひて、帰りて後、「この間(あひだ)、植木を好み、異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたわを愛するなりけり」と、興なく思えければ、鉢に植ゑられける木ども、みな掘り捨てられにけり。さもありぬべきことなり。 --- 第155段 世にしたがはん人は、まづ機嫌(きげん)を知るべし。ついで悪しきことは、人の耳にも逆(さか)ひ、心にも違(たが)ひて。そのことならず。さやうの折節を心得べきなり。 ただし、病を受け、子生み、死ぬることのみ、機嫌をはからず、「ついで悪し」とて止むことなし。生住異滅の移り変るまことの大事は、たけき河のみなぎり流るるがごとし。しばしも滞らず。ただちに行ひゆくものなり。 されば、真俗につけて、必ず果し遂げんと思はんことは、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく。足を踏みとどむまじきなり。 春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落て芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下にまうけたるゆゑに、待ちとるついではなはだ早し。 生老病死の移れるころ、またこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来たらず。かねて後ろに迫れり。人、みな死あることを知りて、待つことしかも急ならざるに、思えずして来たる。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし。 --- 第156段 大臣の大饗は、さるべき所を申しうけて行ふ、常のことなり。宇治左大臣殿は、東三条殿にて行なはる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。 させることの寄せなけれども、女院の御所など借り申す。故実なりとぞ。 --- 第157段 筆を取ればもの書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。盃(さかづき)を取れば酒を思ひ、賽(さい)を取れば攤(だ)打たんことを思ふ。心は必ずことにふれて来たる。かりにも不善の戯れをなすべからず。 あからさまに聖教(しやうげう)の一句を見れば、何となく前後の文(もん)も見ゆ。卒爾(そつじ)にして多年の非を改むることもあり。かりに、今この文を広げざらましかば、このことを知らんや。 これすなはち、触るる所の益なり。心、さらに起こらずとも、仏前にありて、数珠(ずず)を取り経を取らば、怠るうちにも、善業(ぜんごふ)おのづから修せられ、散乱の心ながらも、縄床(じようしやう)に座せば、覚えずして禅定(ぜんじやう)成るべし。 事理、もとより二つならず。外相もしそむかざれば、内証必ず熟ず。しひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。 --- 第158段 「盃の底を捨つることは、いかが心得たる」と、ある人の尋ねさせ給ひしに、「凝当(ぎようたう)と申し侍るは、底に凝りたるを捨つるにや候ふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道(ぎよだう)なり。流れを残して、口のつきたる所をすすぐなり」とぞ仰せられし。 --- 第159段 「『みな結び』と言ふは、糸を結び重ねたるが、蜷(みな)といふ貝に似たれば言ふ」と、あるやんごとなき人、仰せられき。 「にな」と言ふは誤りなり。 --- 第160段 門に額かくるを、「打つ」と言ふは良からぬにや。勘解由小路二品禅門は、「額かくる」とのたまひき。「見物の桟敷打つ」も良からぬにや。「平張(ひらばり)打つ」などは常(つね)のことなり。「桟敷かまふる」など言ふべし。「護摩焚く」と言ふも悪(わろ)し。「修する」「護摩する」など言ふなり。「行法(ぎやうぼふ)も、法の字を澄みて言ふ、悪し。濁りて言ふ」と、清閑寺僧正仰せられき。 常に言ふことに、かかることのみ多し。 --- 第161段 花の盛りは、冬至より百五十日とも、時正(じしやう)の後、七日とも言へど、立春より七十五日、おほやう違(たが)はず。 --- 第162段 遍照寺の承仕法師(じようじほふし)、池の鳥を日ごろ飼ひつけて、堂の内まで餌(ゑ)をまきて、戸一つ開けたれば、数も知らず入りこもりける後(のち)、おのれも入りて、たてこめて、捕らへつつ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞こえけるを、草刈る童(わらは)聞きて、人に告げければ、村の男(をのこ)ども、起りて入りて見るに、大雁(おほがん)どもふためきあへる中に、法師まじりて、打ち伏せねぢ殺しければ、この法師を捕らへて、所より使庁へ出だしたりけり。殺すところの鳥を、頸(くび)にかけさせて、禁獄せられにけり。 基俊大納言、別当の時になん侍りける。 --- 第163段 太衝の太の字、点打つ、打たずといふこと、陰陽のともがら、相論のことありけり。 盛親入道、申し侍りしは、「吉平(よしひら)が自筆の占文(せんもん)の裏に書かれたる御記、近衛関白殿にあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。 --- 第164段 世の人、あひ会ふ時、暫くも黙止することなし。必ず言葉あり。そのことを聞くに、多くは無益(むやく)の談なり。世間の浮説(ふせつ)、人の是非、自他のために、失多く得少なし。 これを語る時、互ひの心に、「無益のことなり」といふことを知らず。 --- 第165段 吾妻(あづま)の人の、都(みやこ)の人に交はり、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また本寺・本山を離れぬる顕密の僧、すべて、わが俗にあらずして、人に交はれる、見苦し。 --- 第166段 人間の営みあへるわざを見るに、春の日に雪仏(ゆきぼとけ)を作りて、そのために金銀珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。 人の命ありと見るほども、下より消ゆること、雪のごとくなるうちに、営みまつこと、はなはだ多し。 --- 第167段 一道にたづさはる人、あらぬ道の筵(むしろ)にのぞみて、「あはれ、わが道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へること、常のことなれど、よに悪(わろ)く思ゆるなり。 知らぬ道のうらやましく思(おぼ)えば、「あなうらやまし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。わが智を取り出でて、人に争ふは、角(つの)ある物の角を傾(かたぶ)け、牙ある物の牙を噛み出だすたぐひなり。 人としては善に誇らず、ものと争はざるを徳とす。他にまさることのあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才芸の優れたるにても、先祖の誉れにても、「人にまされり」と思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎(とが)あり。慎しみて、これを忘るべし。をこにも見え、人にも言ひ消(け)たれ、禍ひをも招くは、ただこの慢心なり。 一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにこの非をしるゆゑに、志(こころざし)、常に満たずして、つひに物に誇ることなし。 --- 第168段 年老いたる人の、一事(いちじ)すぐれたる才(ざえ)のありて、「この人の後には、誰にか問はん」など言はるるは、老いの方人(かたうど)にて、生けるもいたづらならず。さはあれど、それもすたれたる所のなきは、「一生、このことにて暮れにけり」と、つたなく見ゆ。 「今は忘れにけり」と言ひてありなん。大方は知りたりとも、すずろに言ひ散らすは、「さばかりの才にはあらぬにや」と聞こえ、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも、わきまへ知らず」など言ひたれば、なほ、まことに道の主(あるじ)とも思えぬべし。まして、知らぬこと、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の、言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞き居たる、いとわびし。 --- 第169段 「何事の式といふことは、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどより言ふ言葉なり」と人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院御位ののち、また内裏住(うちず)みしたることを言ふに、「世のしきも変りたることはなきにも」と書きたり。 --- 第170段 さしたることもなくて、人のがり行くはよからぬことなり。用ありて行きたりとも、そのこと果てなば、とく帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。 人と向ひたれば、言葉多く、身もくたびれ、心もしづかならず。よろづのことさはりて、時を移す、互ひのため益(やく)なし。いとはしげに言はんも悪(わろ)し。心づきなきことあらん折は、なかなかそのよしをも言ひてん。 同じ心に向かはまほしく思はん人の、つれづれにて、「いましばし。今日は心しづかに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。 そのこととなきに、人の来たりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また文も、「久しく聞こえさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。 --- 第171段 貝を覆ふ人の、我が前なるをばおきて、余所(よそ)を見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間(ま)に、前なるをば人に覆はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤の隅に石を立てて弾くに、向ひなる石をまぼりて弾くは当たらず。わが手元をよく見て、ここなる聖目(ひじりめ)をすぐに弾けば、立てたる石、かならず当たる。 よろづのこと、外(ほか)に向きて求むべからず。ただ、ここもとを正しくすべし。清献公が言葉に、「好事を行じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。世を保たん道も、かくや侍らん。内を慎しまず、軽くほしきままにして、みだりなれば、遠国(をんごく)必ずそむく時、はじめて謀(はかりこと)を求む。「風に当たり、湿に臥して、病を神霊に訴(うた)ふるは、愚かなる人なり」と、医書に言へるがごとし。 目の前なる人の愁へをやめ、恵みを施して、道を正しくせば、その化(くわ)遠く流れんことを知らざるなり。禹(う)の行きて、三苗(さんべう)を征せしも、師(いくさ)を班(かへ)して徳を敷くにはしかざりき。 --- 第172段 若き時は、血気、内に余り、心、物に動きて、情欲多し。身を危ぶめて、砕けやすきこと、珠を走らしむるに似たり。 美麗を好みて、宝を費し、これを捨てて、苔の袂(たもと)にやつれ、勇める心盛りにして、ものと争ひ、心に恥ぢうらやみ、好む所、日々に定まらず。色にふけり、情けにめで、行ひをいさぎよくして、百年(ももとせ)の身を誤り、命を失へるためし願はしくして、身の全(また)く久しからんことをば思はず。好ける方(かた)に心ひきて、永き世語りともなる。身を誤(あやま)つことは、若き時のしわざなり。 老いぬる人は、精神衰へ、淡くおろそかにして、感じ動く所なし。心おのづから静かなれば、無益(むやく)のわざをなさず。身を助けて愁へなく、人のわづらひなからんことを思ふ。老いて智の若き時にまされるころ、若くして、形の老いたるにまされるがごとし。 --- 第173段 小野小町がこと、きはめて定かならず。衰へたるさまは、玉造といふ文に見えたり。 この文、清行が書けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録に入れり。大師は、承和の始めに隠れ給へり。小町が盛りなること、その後のことにや。なほおぼつか。 --- 第174段 小鷹に良き犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹に悪(わろ)くなると言ふ。大に付き小を捨つることわり、まことにしかなり。 人事(にんじ)多かる中に、道を楽しぶより気味深きはなし。これ、まことの大事なり。一度(ひとたび)、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか廃れざらん。何ごとをか営まん。 愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。 --- 第175段 世には心得ぬことの多きなり。ともあるごとには、まづ酒を勧めて、強ひ飲ませたるを興とすること、いかなるゆゑとも心得ず。 飲む人の顔、いと堪へがたげに眉をひそめ、人目をはかりて捨てんとし、逃げんとするを捕(とら)へて、ひきとどめて、すずろに飲ませつれば、うるはしき人も、たちまちに狂人となりて、をこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒(たふ)れ伏す。 祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。明くる日まで頭(かしら)痛く、もの食はず、によひ臥し、生を隔てたるやうにして、昨日のこと覚えず、公私(おほやけわたくし)の大事を欠きて、わづらひとなる。 人をして、かかる目を見すること、慈悲もなく、礼儀にもそむけり。かく辛(から)き目にあひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。「人の国にかかる習ひあなり」と、これらになき人ごとにて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に思えぬべし。 人の上にて見たるだに心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、言葉多く、烏帽子(えぼうし)ゆがみ、紐はづし、脛(はぎ)高くかかげて、用意なき気色、日ごろの人とも思えず。女は、額髪晴れらかにかきやり、まばゆからず顔うちささげてうち笑ひ、盃持てる手に取付き、よからぬ人は、肴(さかな)取りて口にさし当て、みづからも食ひたる。さま悪し。 声の限り出だして、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師、召し出だされて、黒く汚なき身を肩脱ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましくにくし。あるはまた、わが身いみじきことども、かたはらいたく言ひ聞かせ、あるは酔(ゑ)ひ泣きし、下ざまの人は、罵(の)りあひ諍(いさか)ひて、あさましく恐し。恥ぢがましく、心憂きことのみありて、果ては許さぬ物ども押し取りて、縁(えん)より落ち、馬・車より落ちて、あやまちしつ。物にも乗らぬきはは、大路をよろぼひ行きて、築地(ついひぢ)・門の下などに向きて、えもいはぬことどもし散らし、年老い袈裟かけたる法師の、小童(こわらは)の肩をおさへて、聞こえぬことども言ひつつよろめきたる、いとかはゆし。 かかることをしても、この世も後の世も、益あるべきわざならばいかがはせん、この世には、あやまち多く、財を失ひ、病をまうく。「百薬の長」とはいへど、よろづの病は酒よりこそおこれ。「憂へ忘る」といへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる。 後の世は、人の智恵を失なひ、善根を焼くこと火のごとくして、悪を増し、よろづの戒を破りて、地獄に落つべし。「酒を取りて人に飲ませたる人、五百生が間、手無き者に生まる」とこそ、仏は説き給ふなれ。 かく、「うとまし」と思ふものなれど、おのづから捨てがたき折もあるべし。 月の夜、雪の朝(あした)、花のもとにても、心のどかに物語して、盃(さかづき)出だしたる。よろづの興をそふるわざなり。つれづれなる日、思ひのほかに友の入り来て、とり行ひたるも、心なぐさむ。なれなれしからぬあたりの、御簾の中より、御果物(おんくだもの)・御酒(みき)など、よきやうなる気配して、さし出だされたる。いとよし。 冬狭(せば)き所にて、火にてもの煎りなどして、隔てなき同士(どち)さし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋(かりや)、野山などにて、「御肴(みさかな)何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるもをかし。いたういたむ人の、強ひられて、少し飲みたるも、いとよし。よき人の、とりわきて、「今一つ。上少なし」など、のたまはせたるも嬉し。近付かまほしき人の、上戸にて、ひしひしと慣れぬる。また嬉し。 さはいへど、上戸はをかしく、罪許さるる者なり。酔ひくたびれて、朝寝(あさい)したる所を、主(あるじ)の引き開けたるに、まどひて、ほれたる顔ながら、細き髻(もとどり)さし出だし、ものも着あへず抱(いだ)き持ち、ひきしろひて逃ぐる、かい取り姿の後手(うしろで)、毛生ひたる細脛(ほそはぎ)のほど、をかしくつきづきし。 --- 第176段 黒戸は、小松御門、位につかせ給ひて、昔、ただ人におはしましし時、まさなごとせさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間(ま)なり。 御薪(みかまぎ)にすすけたれば、黒戸といふとぞ。 --- 第177段 鎌倉中書王にて、御鞠ありけるに、雨降りて後、いまだ庭の乾かざりければ、「いかがせん」と沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道、鋸のくづを車に積みて、多く奉りたりければ、一庭(ひとには)に敷かれて、泥土の煩ひなかりけり。「取り溜めけん用意ありがたし」と、人、感じあへりけり。 このことをある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子(すなご)の用意やはなかりける」と、のたまひたりしかば、恥づかしかりき。 「いみじ」と思ひける鋸のくづ、賤しく異様(ことやう)のことなり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子をまうくるは、故実なりとぞ。 --- 第178段 ある所の侍(さぶらひ)ども、内侍所(ないしどころ)の御神楽(みかぐら)を見て、人に語るとて、「宝剣をば、その人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞きて、内なる女房の中に、別殿の行幸には、昼御座(ひのござ)の御剣にてこそあれ」と、忍びやかに言ひたりし。心にくかりき。 その人、古き典侍(ないしのすけ)なりけるとかや。 --- 第179段 入宋の沙門道眼上人、一切経を持来して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安置して、ことに首楞厳経(しゆれうごんきやう)を講じて、那蘭陀寺(ならんだじ)と号す。 その聖の申されしは、「『那蘭陀寺は、大門北向きなり』と、江帥(ごうそち)の説とて言ひ伝へたれど、西域伝、法顕伝などにも見えず。さらに所見なし。江帥は、いかなる才覚にてか申されけん、おぼつかなし。唐土の西明寺は、北向き勿論なり」と申しき。 --- 第180段 さぎちやうは、正月に打たる毬杖(ぎちやう)を、真言院より神泉苑へ出だして、焼き上ぐるなり。「法成就(ほふじやうじゆ)の池にこそ」と囃(はや)すは、神泉苑を言ふなり。 --- 第181段 「ふれふれこゆき。たんばのこゆき」といふこと、米(よね)つき、ふるひたるに似たれば、『粉雪(こゆき)』と言ふ。『たまれ粉雪』と言ふべきを、誤りて『丹波の』とは言ふなり。「垣(かき)や木のまたに」と歌ふべし」と、ある物知り申しき。昔より言ひけることにや。 鳥羽院、幼くおはしまして、雪の降るに、かく仰せられけるよし、讃岐典侍が日記に書きたり。 --- 第182段 四条大納言隆親卿、干鮭(からざけ)といふものを供御(ぐご)に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参るやうあらじ」と、人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚、参らぬことにてあらんにこそあれ、鮭の白干(しらぼ)し、なでふ事かあらん。鮎の白干しは参らぬかは」と申されけり。 --- 第183段 人突く牛をば角を切り、人食ふ馬をば耳を切りて、その印(しるし)とす。印を付けずして、人をやぶらせぬるは、主(ぬし)の咎(とが)なり。人食ふ犬をば、養ひ飼ふべからず。これ、みな咎あり。律(りつ)の禁(いましめ)なり。 --- 第184段 相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。守を入れ申さるることありけるに、煤けたる明り障子(さうじ)の破(やぶ)ればかりを、禅尼、手づから小刀して、切りまはしつつ張られければ、兄(せうと)の城介義景(じやうのすけよしかげ)、その日の経営(けいめい)して候ひけるが、「給はりて、なにがし男(をのこ)に張らせ候はん。さやうのことに心得たる者に候ふ」と申されければ、「その男、尼が細工によもまさり侍らじ」とて、なほ一間づつ張られけるを、義景、「みなを張り替へ候はんは、はるかにたやすく候ふべし。まだらに候ふも見苦しくや」と、重ねて申されければ、「尼も、『後は、さはさはと張り替へん』と思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理(しゆり)して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心つけんためなり」と申されける、いとありがたかりけり。 世を治むる道、倹約をもととす。女性(によしやう)なれども聖人の心にかよへり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、ただ人にはあらざりけるとぞ。 --- 第185段 城陸奥守泰盛(じやうのむつのかみやすもり)は、さうなき馬乗りなりけり。 馬を引き出ださせけるに、足を揃へて閾(しきみ)をゆらりと越ゆるを見ては、「これは勇める馬なり」とて、鞍を置き替へさせけり。また、足を伸べて閾に蹴当てぬれば、「これは鈍くして、誤ちあるべし」とて、乗らざりけり。 道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。 --- 第186段 吉田と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬ごとにこはきものなり。人の力、争ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、まづよく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡(くつわ)・鞍(くら)の具に危ふき事やあると見て、心にかかることあらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ秘蔵(ひさう)のことなり」と申しき。 --- 第187段 よろづの道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家の人に並ぶ時、必ずまさることは、たゆみなく慎しみて軽々しくせぬと、ひとへに自由なるとの等しからぬなり。 芸能・所作のみにあらず、おほかたの振舞・心づかひも、愚かにして慎しめるは徳のもとなり。巧みにしてほしきままなるは、失のもとなり。 --- 第188段 ある者、子を法師になして、「学問して因果の理(ことわり)をも知り、説経などして、世渡るたつきともせよ」と言ひければ、教へのままに、説経師にならんために、まづ馬に乗り習ひけり。「輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは心憂かるべし」と思ひけり。 次に、「仏事ののち、酒など勧むることあらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべし」とて、早歌(さうか)といふことを習ひけり。このわざ、やうやう境(さかひ)に入りければ、いよいよよくしたく思えて嗜(たしな)みけるほどに、説経習ふべきひまなくて、年寄りにけり。 この法師のみにもあらず、世間の人、なべてこのことあり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大なる道をも成(じやう)じ、能をもつき、学問をもせんと、行末久しくあらますことども心にはかけながら、世をのどかに思ひて、うち怠りつつ、まづさしあたりたる目の前のことにのみまぎれて月日を送れば、ことごとなすことなくして、身は老いぬ。つひに物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢(よはひ)ならねば、走りて坂を下る輪のごとくに衰へゆく。 されば、一生のうち、「むねとあらまほしからんことの中に、いづれかまさる」と、よく思ひ比べて、第一のことを案じ定めて、そのほかは思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中(うち)、一時の中にも、あまたのことの来たらんなかに、少しも益のまさらんことを営みみて、そのほかをばうち捨てて、大事を急ぐべきなり。「何方(いづかた)をも捨てじ」と心にとり持ちては、一事もなるべからず。 たとへば、碁を打つ人、一手もいたづらにせず、人に先立ちて、小を捨て大につくがごとし。それにとりて、三つの石を捨てて、十の石につくことはやすし。十を捨て、十一につくことはかたし。一つなりとも、まさらん方へこそつくべきを、十までなりぬれば、惜しく思えて、多くまさらぬ石にはかへにくし。「これをも捨てず、かれをも取らん」と思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。 京に住む人、急ぎて東山に用ありて、すでに行き着きたりとも、西山に行てその益まさるべきことを思ひ得たらば、門(かど)より帰りて、西山へ行くべきなり。ここまで来着きぬれば、「このことをば、まづ言ひてん。日をささぬことなれば、西山のことは帰りてまたこそ思ひたため」と思ふゆゑに、一事の懈怠(けだい)、すなはち一生の懈怠となる。これを恐るべし。 一事を必ずなさんと思はば、他のことの破るるをもいたむべからず。人の嘲りをも恥づべからず。万事にかへずしては、一の大事成るべからず。 人のあまたありける中にて、ある者、「ますほのすすき、まそほのすすきなど言ふことあり。渡辺(わたのべ)の聖、このことを伝へ知りたり」と語りけるを。登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑笠やある。貸し給へ。かの薄(すすき)のこと習ひに、渡辺の聖のがり尋ねまからん」と言ひけるを、「あまりに物騒がし。雨やみてこそ」と、人の言ひければ、「無下(むげ)のことをも仰せらるるものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。われも死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつつ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゆしくありがたう思ゆれ。 「敏(と)きときは、則ち功あり」とぞ、論語といふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。 --- 第189段 「今日はそのことをなさん」と思へど、あらぬ急ぎまづ出で来てまぎれ暮らし、待つ人はさはりありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方のことは違(たが)ひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。煩(わづら)はしかりつることはことなくて、やすかるべきことはいと心苦し。 日々に過ぎ行くさま、かねて思ひつるには似ず。一年(ひととせ)の中(うち)もかくのごとし。一生の間もまたしかなり。 「かねてのあらまし、みな違ひ行くか」と思ふに、おのづから違はぬこともあれば、いよいよ物は定めがたし。不定と心得ぬるのみ、まことにて違はず。 --- 第190段 妻(め)といふものこそ、男(をのこ)の持つまじきものなれ。「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ。 「誰がしが婿になりぬ」とも、また、「いかなる女を取り据ゑて、相住む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるるわざなり。「ことなることなき女を、よしと思ひ定めてこそ添ひ居たらめ」と、いやしくも推し量られ、よき女ならば、「この男をぞらうたくして、あが仏とまもり居たらめ」、たとへば、「さばかりにこそ」と思えぬべし。 まして、家のうちを行ひ治めたる女、いと口惜し。子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。男亡くなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし。 いかなる女なりとも、明け暮れ添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。女のためも、半空(なかぞら)にこそならめ、よそながら時々通ひ住まんこそ、年月経ても、絶えぬながらひともならめ。あからさまに来て、泊り居などせんは、めづらしかりぬべし。 --- 第191段 「夜に入りて、物の栄(は)えなし」と言ふ人、いと口惜し。よろづの物のきら、飾り・色ふしも、夜のみこそめでたけれ。 昼は、ことそぎ、およすげたる姿にてもありなん。夜は、きららかに、花やかなる装束(さうぞく)いとよし。人の気色も、夜の火影(ほかげ)ぞ、よきはよく、もの言ひたる声も暗くて聞きたる、用意ある心にくし。匂ひも、ものの音(ね)も、ただ夜ぞ、ひときはめでたき。 さしてことなることなき夜、うち更けて参れる人の、清げなるさましたる、いとよし。若きどち、心とどめて見る人は、時をも分かぬものなれば、ことにうちとけぬべき折節ぞ、褻(け)・晴(はれ)なくひきつくろはまほしき。よき男の、日暮れてゆするし、女も夜更くるほどに、すべりつつ、鏡取りて、顔などつくろひて出づるこそをかしけれ。 --- 第192段 神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし。 --- 第193段 暗き人の、人を量りて、「その智を知れり」と思はん、さらに当たるべからず。 つたなき人の、碁打つことばかりに、さとく巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、「おのれが智に及ばず」と定めて、よろづの道の匠(たくみ)、わが道を人の知らざるを見て、「おのれ、すぐれたり」と思はんこと、大きなる誤りなるべし。 文字の法師・暗証の禅師、互ひに量りて、「おのれにしかず」と思へる、ともに当たらず。 おのれが境界にあらざるものをば、争ふべからず。是非すべからず。 --- 第194段 達人の人を見る眼(まなこ)は、少しも誤る所あるべからず。 たとへば、ある人の、世に虚言(そらごと)をかまへ出だして、人を謀ることあらんに、素直にまことと思ひて、言ふままに謀らるる人あり。あまりに深く信をおこして、なほわづらはしく、虚言を心得添ふる人あり。また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。また、いささかおぼつかなく思えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。また、まことしくは思えねども、「人の言ふことなれば、さもあらん」とて、やみぬる人もあり。また、さまざまに推(すい)し、心得たるよしして、かしこげにうちうなづき、ほほ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。また、推し出だして、「あはれ、さるめり」と思ひながら、「なほ誤りもこそあれ」と怪しむ人あり。また、「異なるやうもなかりけり」と、手を打ちて笑ふ人あり。また、心得たれども、「知れり」とも言はず、おぼつかなからぬは、とかくのことなく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。また、この虚言の本意を始めより心得て、少しもあざむかず、かまへ出だしたる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。 愚者の中の戯(たはぶ)れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、言葉にても顔にても、隠れなく知られぬべし。まして、明らかならん人の、惑へるわれらを見んこと、掌(たなごころ)の上の物を見んがごとし。 ただし、かやうの推し量りにて、仏法までをなずらへ言ふべきにはあら。 --- 第195段 ある人、久我縄手(こがなはて)を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗ひけり。 心得がたく見るほどに、狩衣の男、二・三人出で来て、「ここにおはしましけり」とて、この人を具して去(い)にけり。久我内大臣殿(こがのないだいじんどの)にてぞおはしける。 尋常(よのつね)におはしましける時は、神妙(しんべう)にやんごとなき人にておはしけり。 --- 第196段 東大寺の神輿(しんよ)、東寺の若宮より帰座の時、源氏の公卿参られけるに、この殿、大将にて先を追はれけるを、土御門相国、「社頭にて警蹕、いかが侍るべからん」と申されければ、「随身の振舞ひは、兵仗(ひやうぢやう)の家が知ることに候ふ」とばかり答へ給ひけり。 さて、後に仰られけるは、「この相国、北山抄を見て、西宮の説をこそ知られざりけれ。眷属の悪鬼・悪神を恐るるゆゑに、神社にて、ことに先を追ふべきことわりあり」とぞ、仰せられける。 --- 第197段 諸寺の僧のみにもあらず、定額(ぢやうがく)の女嬬(によじゆ)といふこと、延喜式に見えたり。すべて数定まりたる公人(くにん)の通号にこそ。 --- 第198段 揚名介(やうめいのすけ)に限らず、揚名目(やうめいのさくわん)といふものもあり。政事要略にあり。 --- 第199段 横川(よかは)の行宣法印(ぎやうせんほふいん)が申し侍りしは、「唐土は呂(りよ)の国なり。律の音なし。和国は単律の国にて、呂の音なし」と申しき。 --- 第200段 呉竹(くれたけ)は葉細く、河竹(かはたけ)は葉広し。御溝(みかは)に近きは河竹、仁寿殿(じじゆうでん)の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。 --- 第201段 退凡・下乗の卒都婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。 --- 第202段 十月(じふぐわつ)を神無月(かみなづき)と言ひて、神事にはばかるべきよしは、記したるものなし。本文(もとふみ)も見えず。ただし、当月、諸社のまつりなきゆゑに、この名あるか。 「この月、よろづの神たち、太神宮(だいじんぐう)へ集まり給ふ」など言ふ説あれども、その本説(ほんぜつ)なし。さることならば、伊勢には、ことに祭月(さいげつ)とすべきに、その例もなし。 十月、諸社の行幸、その例も多し。ただし、多くは不吉の例なり。 --- 第203段 勅勘(ちよくかん)の所に、靫(ゆき)かくる作法、今は絶えて知れる人なし。 主上の御悩(ごなう)、おほかた世の中の騒がしき時は、五条の天神に靫をかけらる。鞍馬に、ゆきの明神といふも、靫かけられたりける神なり。 看督長(かどのをさ)の負ひたる靫を、その家にかけられぬれば、人出で入らず。このこと絶えて後、今の世には、封を付くることになりにけり。 --- 第204段 犯人(ぼんにん)を笞(しもと)にて打つ時は、拷器(がうき)に寄せて結ひ付くるなり。拷器の様(やう)も、寄する作法も、今はわきま知れる人なしとぞ。 --- 第205段 比叡山に大師勧請(だいしくわんじやう)の起請(きしやう)といふことは、慈恵僧正書き始め給ひけるなり。 起請文といふこと、法曹にはその沙汰なし。いにしへの聖代、すべて起請文につきてをこなはるる政(まつりごと)はなきを、近代のこと流布したるなり。 また、法令(はふりやう)には、水火に穢れをたてず。入れ物には穢れあるべし。 --- 第206段 徳大寺右大臣殿、検非違使の別当の時、中門(ちゆうもん)にて、使庁の評定行はれけるほどに、官人章兼が牛放れて、庁の内へ入りて、大理の座の浜床(はまゆか)の上に上りて、にれうちかみて臥したりけり。 「重き怪異なり」とて、牛を陰陽師のもとへつかはすべきよし、おのおの申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いづくへか上らざらん。尫弱(わうじやく)の官人、たまたま出仕の微牛(びぎう)を取らるべきやうなし」とて、牛をば主(ぬし)に返して、臥したりける畳をば替へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。 「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。 --- 第207段 亀山殿建てられんとて、地を引かれけるに、大なる蛇(くちなは)、数も知らずこり集りたる塚ありけり。 「この所の神なり」と言ひて、ことのよしを申しければ、「いかがあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられがたし」と、みな人申されけるに、この大臣一人、「王土にをらん虫、皇居を建られんに、何の祟りをかなすべき。鬼神はよこしまなし。とがむべからず。ただ、みな掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井河に流してげり。 さらに祟りなかりけり。 --- 第208段 経文などの紐を結(ゆ)ふに、上下(かみしも)よりたすきにちがへて、二筋(ふたすぢ)の中より、わなの頭を横ざまに引き出だすことは、常のことなり。 さやうにしたるをば、華厳院の弘舜僧正、解きて直させけり。「これは、このごろやうのことなり。いとにくし。うるはしくは、ただ、くるくると巻きて、上より下へ、わなの先をさしは さむべし」と申されけり。 古き人にて、かやうのこと知れる人になん侍りける。 --- 第209段 人の田を論ずるもの、訴(うた)へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人をつかはしけるに、まづ道すがらの田をさへ刈りもてゆくを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても、刈るべき理(ことわり)なけれども、『僻事せん』とてまかる者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。 理(ことわり)、いとをかしかりけり。 --- 第210段 「喚子鳥(よぶこどり)は春のものなり」とばかり言ひて、いかなる鳥とも、定かに記せるものなし。 ある真言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺(ぬえ)なり。万葉集の長歌に、「霞立つ長き春日の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通ひて聞こゆ。 --- 第211段 よろづのことは頼むべからず。愚かなる人は、深くものを頼むゆゑに、恨み怒(いか)ることあり。 勢ひありとて、頼むべからず。こはき者、まづ滅ぶ。財(たから)多しとて、頼むべからず。時の間に失ひやすし。才ありとて、頼むべからず。孔子も時にあはず。徳ありとて、頼むべからず。顔回も不幸なりき。君の寵(ちよう)をも、頼むべからず。誅(ちゆう)を受くることすみやかなり。奴(やつこ)従へりとて、頼むべからず。そむき走ることあり。人の志をも、頼むべからず。必ず変ず。約をも、頼むべからず。信あること少なし。 身をも人をも頼まざれば、是(ぜ)なる時は喜び、非(ひ)なる時は恨みず。左右(さう)広ければさはらず。前後遠ければ塞(ふさ)がらず。狭(せば)き時はひしげくだく。心を用ゐること少しきにして、厳しき時は、ものにさかひ争ひて破る。ゆるくして柔らかなる時は、一毛も損ぜず。 人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人の性(しやう)、何ぞ異ならん。寛大にして極まらざる時は、喜怒これにさはらずして、もののために煩はず。 --- 第212段 秋の月は限りなくめでたきものなり。 いつとても、「月はかくこそあれ」とて、思ひ分かざらん人は、無下(むげ)に心憂かるべきことなり。 --- 第213段 御前(ごぜん)の火炉(くわろ)に火を置く時は、火箸して挟むことなし。土器(かはらけ)よりただちに移すべし。されば、転び落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。 八幡の御幸に供奉(ぐぶ)の人、浄衣を着て、手にて炭をさされければ、ある有職(いうそく)の人、「白き物を着たる日は、火箸を用ゐる、苦しからず」と申されけり。 --- 第214段 想夫恋(さうふれん)といふ楽(がく)は、女、男を恋ふるゆゑの名にはあらず。もとは相府蓮、文字の通へるなり。晋の王倹、大臣として、家に蓮(はちす)を植ゑて愛せし時の楽なり。これ より大臣を蓮府といふ。 廻忽も廻鶻なり。廻鶻国とて、夷(えびす)のこはき国あり。その夷、漢に伏して後に、来たりて、おのれが国の楽を奏せしなり。 --- 第215段 平宣時朝臣、老いの後(のち)、昔語りに、「最明寺入道、ある宵の間に呼ばるることありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、また使(つかひ)来たりて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異様(ことやう)なりとも、とく』とありしかば、なえたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、銚子に土器(かはらけ)取り添へて、持て出でて、『この酒を一人たうべんがさうざうしければ申しつるなり。肴こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、紙燭(しそく)さして、くまぐまを求めしほどに、台所の棚に、小土器(こがわらけ)に味噌の少し付きたるを見出でて、『これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献(すこん)に及びて、興に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか」と申されき。 --- 第216段 最明寺入道、鶴岡の社参のついでに、足利左馬入道のもとへ、まづ使を遣はして、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりけるやう、一献に打ち鮑(あはび)、二献に蝦(えび)、三献にかいもちひにてやみぬ。その座には、亭主夫婦、隆弁僧正、あるじ方の人にて座せられけり。 さて、「年ごとに給はる足利の染物、心もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、色々の染物三十、前にて、女房どもに小袖に調(てう)ぜさせて、後に遣はされけり。 その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。 --- 第217段 ある大福長者のいはく、「人はよろづをさしおきて、ひたぶるに徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳を付かんと思はば、すべからく、まづその心づかひを修行すべし。その心と言ふは他のことにあらず。人間常住の思ひに住して、仮にも無常を観ずることなかれ。これ、第一の用心なり。次に、万事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲にしたがひて、志を遂げんと思はば、百万の銭ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止む時なし。財(たから)は尽くる期(ご)あり。限りある財を持ちて、限りなき願にしたがふこと、得べからず。所願心にきざすことあらば、『われを滅ぼすべき悪念きたれり』と、固く慎しみ恐れて、小要(せうえう)をもなすべからず。次に、銭を奴(やつこ)のごとくして、使ひ用ゐるものと知らば、長く貧苦をまぬかるべからず。君のごとく、神のごとく、恐れ尊みて、したがへ、用ゐることなかれ。次に、恥にのぞむといふとも、怒り恨むることなかれ。つぎに、正直にして約を固くすべし。この義を守(まぼ)りて、利を求めん人は、富の来たること、火の乾けるにつき、水の下れるにしたがふがごとくなるべし。銭積りて尽きざる時は、宴飲声色(えんいんせいしよく)をこととせず、居所を飾らず、所願を成(じやう)ぜざれども、心とこしなへに安く楽し」と申しき。 そもそも、人は所願を成ぜんがために、財を求む。銭を財とすることは、願ひをかなふるがゆゑなり。所願あれどもかなへず、銭あれども用ゐざらんは、全く貧者と同じ。何をか楽しびとせん。 この掟(おきて)は、ただ、「人間の望を断ちて、貧を憂ふべからず」と聞こえたり。欲を成じて楽しびとせんよりは、しかじ、財なからんには。癰疽(ようそ)を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんにはしかじ。ここに至りては、貧富分く所なし。 究竟(くきやう)は理即(りそく)に等し。大欲は無欲に似たり。 --- 第218段 狐は人に食ひつくものなり。 堀川殿にて、舎人が寝たる足を狐に食はる。 仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師(しもほふし)に、狐三つ飛びかかりて、食ひつきければ、刀を抜きて、これを防ぐ間、狐二疋を突く。一つは突き殺しぬ。二つは逃げぬ。法師はあまた所食はれながら、ことゆゑなかりけり。 --- 第219段 四条黄門、命ぜられていはく、「龍秋(たつあき)は、道にとりてはやんごとなき者なり。先日来たりていはく、『短慮の至り、極めて荒涼(くわうりやう)のことなれども、横笛の五(ご)の穴は、いささかいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。そのゆゑは、干(かん)の穴は。平調(ひやうでう)。五の穴は下無調(しもむでう)なり。その間 に勝絶調(しようぜつでう)を隔てたり。上(しやう)の穴、双調(さうでう)。次に鳧鐘調(ふしようでう)を置きて、夕(さく)の穴、黄鐘調(わうしきでう)なり。その次に鸞鐘調(らんけいでう)を置きて、中の穴、盤渉調(ばんしきでう)、中(ちゆう)と六とのあはひに、神仙調(しんせんでう)あり。かやうに間々(まま)に、みな一律を盗めるに、五の穴のみ、上の間に調子を持たずして、しかも間をくばること等しきゆゑに、その声不快なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、ものに合はず。吹き得る人かたし』と申しき。料簡の至り、まことに興あり。先達、後生を恐ると言ふこと、このことなり」と侍りき。 他日に景茂が申し侍りしは、「笙は調べおほせて持ちたれば、ただ吹くばかりなり。笛は、吹きながら、息のうちにて、かつ調べもてゆくものなれば、穴ごとに、口伝の上に性骨(しやうこつ)を加へて心を入るること、五の穴のみに限らず。ひとへにのくとばかりも定むべからず。悪しく吹けば、いづれの穴も心よからず。上手はいづれをも吹きあはす。呂律(りよりつ)のものにかなはざるは、人の咎(とが)なり。器の失にあらず」と申しき。 --- 第220段 「何事も辺土は賤しく、かたくななれども、天王寺の舞楽のみ、都に恥ぢず」と言へば、天王寺の伶人(れいじん)の申し侍りしは、「当寺の楽は、よく図を調べあはせて、ものの音の、めでたくととのほり侍ること、ほかよりも優れたり。ゆゑは、太子の御時の図、今に侍るをはかせとす。いはゆる六時堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調(わうしきでう)の最中(もなか)なり。寒暑にしたがひて、上り下りあるべきゆゑに、二月涅槃会より聖霊会までの中間(ちゆうげん)を指南とす。秘蔵(ひさう)のことなり。この一調子(いつでうし)をもちて、いづれの声をもととのへ侍るなり」と申しき。 およそ、鐘の声は黄鐘調なるべし。これ無常の調子、祇園精舎の無常院の声なり。西園寺の鐘、「黄鐘調に鋳らるべし」とて、あまた度(たび)鋳かへられけれども、かなはざりけるを、遠国より尋ね出だされける。浄金剛院の鐘の声、また黄鐘調なり。 --- 第221段 建治・弘安のころは、祭の日の放免(はうべん)の付け物に、異様(ことやう)なる紺の布の五反(たん)にて、馬をつくりて、尾髪(をかみ)には灯心(とうじみ)をして、蜘蛛の網(い)描きたる水干に付けて、歌の心など言ひて渡りしこと、つねに見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍しか」と、老いたる道志(だうし)どもの、今日も語り侍るなり。 このごろは、付け物、年を送りて、過差(くわさ)ことのほかになりて、よろづの重き物を多く付けて、左右(さう)の袖を人に持たせて、みづからは鉾(ほこ)をだに持たず、息つき苦しむありさま、いと見苦し。 --- 第222段 竹谷乗願房、東二条院(とうにでうのゐん)へ参られたりけるに、「亡者(まうじや)の追善には、何事か勝利多き」と尋ねさせ給ひければ、「光明真言。宝篋印陀羅尼」と申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。『念仏にまさること候ふまじ』とは、など申し給はぬぞ」と申しければ、「家宗なれば、さこそ申さまほしかりつれども、まさしく、『称名を追福に修して巨益(こやく)あるべし』と説ける経文を見及ばねば、『『何に見えたるぞ』と重ねて問はせ給はば、いかが申さん』と思ひて、本経の確かなるにつきて、この真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。 --- 第223段 鶴(たづ)の大臣殿(おほいどの)は、童名(わらはな)鶴君(たづぎみ)なり。鶴を飼ひ給ひけるゆゑにと申すは僻事(ひがごと)なり。 --- 第224段 陰陽師有宗入道、鎌倉より上りて、尋ね詣で来たりしが、まづさし入りて、「この庭のいたづらに広きこと、あさましく、あるべからぬことなり。道を知る者は、植うることをつとむ。細道一つ残して、みな畑に作り給へ」と、いさめ侍りき。 まことに少しの地をもいたづらに置かんことは、益(やく)なきことなり。食ふ物・薬種(やくしゆ)などを植え置くべし。 --- 第225段 多久資(おほのひさすけ)が申しけるは、「通憲入道、舞の手の中に興あることどもを選びて、磯の禅師(ぜんじ)といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に鞘巻(さうまき)を差させ、烏帽子をひき入れたりければ、男舞(おとこまひ)とぞ言ひける。禅師が娘、静(しづか)といひける、この芸を継げり。これ白拍子(しらびやうし)の根元なり。仏神の本縁を歌ふ。 その後、源光行、多くのことを作れり。後鳥羽院の御作もあり。亀菊に教へさせ給ひけるとぞ。 --- 第226段 後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉(ほまれ)ありけるが、楽府(がふ)の御論議(みろんぎ)の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、「五徳の冠者」と異名を付きにけるを、心憂きことにして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば下部(しもべ)までも召し置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持(ふち)し給ひけり。 この行長入道、平家物語を作りて、生仏(しやうぶつ)といひける盲目に教へて、語らせけり。さて、山門のことを、ことにゆゆしく書けり。九郎判官のことは詳しく知して書き載せたり。蒲冠者(かばのくわんじゃ)のことは、よく知らざりけるにや、多くのことども記しもらせり。武士のこと、弓馬のわざは、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。 かの生仏が生まれつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。 --- 第227段 六時礼讃(ろくじらいさん)は、法然上人の弟子、安楽といひける僧、経文を集めて作りて、勤めにしけり。 その後、太秦善観房(うづまさのぜんくわんぼう)といふ僧、節博士(ふしはかせ)を定めて、声明になせり。一念の念仏の最初なり。後嵯峨院の一代より始まれり。法事讃も、同じく善観房始めたるなり。 --- 第228段 千本の釈迦念仏は、文永のころ、如輪上人、これを始められけり。 --- 第229段 よき細工は、少し鈍き刀を使ふと言ふ。妙観(めうくわん)が刀は、いたく立たず。 --- 第230段 五条内裏には妖物(ばけもの)ありけり。 藤大納言殿、語られ侍りしは、殿上人ども、黒戸にて碁を打ちけるに、御簾をかかげて見る物あり。「誰(た)そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さしのぞきたるを、「あれ、狐よ」とどよまれて、まどひ逃げにけり。 未練の狐、化け損じけるにこそ。 --- 第231段 園(その)の別当入道は、さうなき庖丁者(はうちやうじゃ)なり。 ある人のもとにて、いみじき鯉を出だしたりければ、みな人、「別当入道の庖丁を見ばや」と思へども、「たやすくうち出でんもいかが」とためらひけるを、別当入道さる人にて、「このほど、百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべきにあらず。まげて申し請けん」とて、切られける。 「いみじく、つきづきしく、興ありて、人ども思へりける」と、ある人、北山太政入道殿に語り申されたりければ、「かやうのこと、おのれはよにうるさく思ゆるなり。『切りぬべき人なくば給べ。切らん」と言ひたらんは、なほよかりなん。なでふ、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく思えしと、人の語り給ひける、いとをかし。 おほかた、振舞ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、まさりたることなり。客人(まれびと)の饗応(きやうおう)なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、まことによけれども、ただそのこととなくて取り出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らん」と言ひたる、まことの志なり。惜しむよしして請はれんと思ひ、勝負の負けわざにことつけなどしたる、むつかし。 --- 第232段 すべて人は無智無能なるべきものなり。 ある人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言ふとて、史書の文を引きたりし。「さかしくは聞こえしかども、尊者の前にては、さらずとも」と思えしなり。 また、ある人のもとにて、「琵琶法師の物語を聞かん」とて。琵琶を召し寄せたるに、柱(ぢゆう)の一つ落ちたりしかば、「作りて付けよ」と言ふに、ある男の中に、あしからずと見ゆるが、「古き柄杓(ひさく)の柄ありや」など言ふを見れば、爪を生(お)ふしたり。琵琶など弾くにこそ。盲法師(めくらほふし)の琵琶、その沙汰にも及ばぬことなり。「道に心得たるよしにや」と、かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木(ひものぎ)とかや言ひて、よからぬ物に」とぞ、ある人仰せられし。 若き人は、少しのことも、よく見え、悪(わろ)く見ゆるなり。 --- 第233段 「よろづの咎(とが)あらじ」と思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少なからんにはしかじ。男女・老少、みなさる人こそよけれども、ことに若く形よき人の、言(こと)うるはしきは、忘れがたく、思ひつかるるものなり。 よろづの咎は、馴れたるさまに上手めき、所得たる気色として、人をないがしろにするにあり。 --- 第234段 人の、物を問ひたるに、「知らずしもあらじ。ありのままに言はんは、をこがまし」とにや、心惑はすやうに返事(かへりごと)したる、よからぬことなり。 知りたることも、「なほさだかに」と思ひてや問ふらん、また、まことに知らぬ人もなどかなからん。うららかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞こえなまし。 人は、いまだ聞き及ばぬことを、わが知りたるままに、「さても、その人のことのあさましさ」などばかり言ひやりたれば、「いかなることのあるにか」と、おし返し問ひにやるこそ、心づきなけれ。世に古りぬることをも、おのづから聞き漏らすあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げやりたらん、悪しかるべきことかは。 かやうのことは、もの馴れぬ人のあることなり。 --- 第235段 主(ぬし)ある家には、すずろなる人、心のままに入り来ることなし。主(あるじ)なき所には、道行人(みちゆきびと)、みだりに立ち入り、狐・ふくろうやうの物も、人気(ひとげ)に塞(せ)かれねば、所得顔(ところえがほ)に入り住み、木霊(こたま)などいふ、けしからぬ形も、あらはるるものなり。 また、鏡には、色・形なきゆゑに、よろづの影来たりて映る。鏡に色・形あらましかば、映らざらまし。 虚空よく物を入る。われらが心に、念々の、ほしきままに来たり浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主(ぬし)あらましかば、胸の内に、若干(そこばく)のことは、入り来たらざらまし。 --- 第236段 丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某(なにがし)とかや知る所なれば、秋のころ、聖海上人、そのほかも人あまた誘ひて、「いざ給へ。出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。 御前なる獅子・狛犬、そむきて後ろざまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深きゆゑあらん」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝の事は、御覧じとがめずや。無下なり」といへば、おのおの怪しみて、「まことに、ほかに異なりけり。都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官(じんぐわん)を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めて習ひあることに侍らん。ちと承はらばや」と言はれければ、「そのことに候ふ。さがなき童(わらはべ)どもの仕りける。奇怪に候ふことなり」とて、さし寄りて、据ゑ直して去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。 --- 第237段 柳筥(やないばこ)に据ゆる物は、縦さま、横さま、物によるべきにや。 「巻物などは、縦さまに置きて、木のあはひより、紙ひねりを通して結ひ付く。硯も縦さまに置きたる。筆転ばず、よし」と、三条右大臣殿、仰せられき。 勘解由小路の家の能書の人々は、かりにも縦さまに置かるることなし。必ず横さまに据ゑられ侍りき。 --- 第238段 御随身近友が自讃とて、七箇条書き留めたることあり。みな馬芸、させることなきことどもなり。そのためしを思ひて、自讃のこと、七つあり。 一、人あまた連れて、花見歩(あり)きしに、最勝光院の辺にて、をのこの、馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒(たふ)れて落つべし。しばし見給へ」とて、立ち止まりたるに、また馬を馳す。とどむる所にて、馬を引き倒して、乗る人、泥土(でいど)の中に転び入る。その言葉の誤らざることを、人、みな感ず。 一、当代、いまだ坊におはしまししころ、万里小路殿御所なりしに、堀川大納言殿、伺候(しこう)し給ひし御曹司(みざうし)へ、用ありて参りたりしに、論語の四・五・六の巻をくり広げ給ひて、「ただ今、御所にて、『紫の朱うばふことを悪(にく)む』といふ文を御覧ぜられたきことありて、御本(ごほん)を御覧ずれども、御覧じ出だされぬなり。『なほよく引き見よ』と仰せごとにて、求むるなり」と仰せらるるに、「九の巻の、そこそこのほどに侍る」と申したりしかば、「あなうれし」とて、持て参らせ給ひき。かほどのことは、児どもも常のことなれど、昔の人は、いささかのことをも、いみじく自讃したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と、一首のうちに悪しかりなんや」と定家卿に尋ね仰せられたるに、   秋の野の草のたもとか花すすき穂に出でて招く袖と見ゆらん と侍れば。何事か候ふべき」と申されたることも、「時にあたりて。本歌を覚悟す。道の冥加なり。高運なり」など、ことことしく記し置かれ侍るなり。九条相国伊通公の款状(くわんじやう)にも、ことなることなき題目をも書き載せて、自讃せられたり。 一、常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鋳型(いかた)に移させんとせしに、奉行の入道、かの草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外(ほか)に夕(ゆふべ)を送れば、声百里に聞こゆ」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり」とて、筆者のもとへ言ひやりたるに、「誤り侍りけり。数行(すかう)と直さるべし」と返事(かへりごと)侍りき。数行もいかなるべきにか。もし数歩の心か。おぼつかなし >数行なほ不審。数は四・五なり。鐘四五歩、幾くならざるなり。ただ遠く聞こゆる心なり。 一、人あまたともなひて、三塔巡礼のこと侍りしに、横川の常行堂のうち、龍華院と書ける古き額あり。「佐理・行成のあひだ疑ひありて、いまだ決せずと申し伝へたり」と、堂僧、ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積もり、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃きのごひて、おのおの見侍りしに、行成の位署・名字・年号、さだかに見え侍りしかば、人、みな興に入る。 一、那蘭陀寺にて、道眼聖、談議せしに、八災といふことを忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化(しよけ)みな覚えざりしに、局(つぼね)の内より、「これこれにや」と言ひ出だしたれば、いみじく感じ侍りき。 一、賢助僧正にともなひて、加持香水(かぢかうずい)を見侍りしに、いまだ果てぬほどに、僧正帰りて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもを返して、求めさするに、「同じさまなる大衆多くて、え求めあはず」と言ひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。 一、二月十五日、月明かき夜、うち更けて、千本の寺に詣でて、後ろより入りて、一人、顔深く隠して、聴聞し侍りしに、優(いう)なる女の、姿・匂ひ、人よりことなるが、分け入りて膝にゐかかれば、匂ひなども移るばかりなれば、「便悪(びんあ)し」と思ひて、すりのきたるに、なほゐ寄りて、同じさまなれば、立ちぬ。その後、ある御所(ごしよ)さまの古き女房の、そぞろごと言はれしついでに、「『無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなんありし。情けなし』と恨み奉る人なんある」と、のたまひ出だしたるに、「さらにこそ心得侍らね」と申してやみぬ。 このこと後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局(みつぼね)の内より、人の御覧じ知りて、さぶらふ女房を作り立てて出だし給ひて、「便よくは、言葉などかけんものぞ。そのありさま、参りて申せ。興あらん」とて、謀り給ひけるとぞ。 --- 第239段 八月十五日・九月十三日は婁宿(ろうしゆく)なり。この宿(しゆく)、清明なるゆゑに、月をもてあそぶに良夜(りやうや)とす。 --- 第240段 しのぶの浦の蜑(あま)の見るめも所せく、くらぶの山も守(も)る人しげからんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からず、あはれと思ふふしぶしの、忘れがたきことも多からめ。親はらから許して、ひたぶるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。 世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしの吾妻人なりとも、にぎははしきにつきて、「さそふ水あらば」など言ふを、仲人(なかうど)、いづかたも心にくきさまに言ひなして、知られず知らぬ人を、迎へもて来たらんあいなさよ。何ごとをかうち出づる言の葉にせん。年月のつらさをも、「分け来し葉山の」などもあひ語らはんこそ、尽きせぬ言の葉にてもあらめ。 すべて余所の人の取りまかなひたらん、うたて、心づきなきこと多かるべし。よき女ならんにつけても、品下り、見にくく、年も長(た)けなん男は、「かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやは」と、人も心劣りせられ、わが身は向ひ居たらんも、影恥づかしく思えなん。いとこそあいなからめ。 梅の花かうばしき夜の朧月(おぼろづき)にたたずみ、御垣(みかき)が原の露分け出でん在明の 空も、わが身さまにしのばるべくもなからん人は、ただ色好まざらんにはしかじ。 --- 第241段 望月(もちづき)の円(まど)かなることは、しばらくも住せず、やがて欠けぬ。心とどめぬ人は、一夜の中(うち)に、さまで変るさまも見えぬにやあらん。 病の重(おも)るも、住(じゆう)するひまなくして、死期(しご)すでに近し。されども、いまだ病急ならず、死におもむかざるほどは、常住平生(じやうじゆうへいぜい)の念に習ひて、「生(しやう)の中に多くのことを成(じやう)じて後、閑かに道を修せん」と思ふほどに、病を受けて死門にのぞむ時、所願一事も成ぜず。いふかひなくて、年月の懈怠(けだい)を悔いて、「このたび、もち立ちなほりて命を全(また)くせば、夜を日につぎて、このこと、かのこと、怠らず成じてん」と願ひをおこすらめど、やがて重りぬれば、われにもあらず、取り乱して果てぬ。このたぐひのみこそあらめ。このこと、まづ人々急ぎ心に置くべし。 所願を成じて後、暇(いとま)ありて、道に向はんとせば、所願尽くべからず。如幻(によげん)の生の中に、何事をかなさん。すべて、所願みな妄想(まうざう)なり。「所願心に来たらば、妄心迷乱(まうしんめいらん)す」と知りて、一事をもなすべからず。ただちに万事を放下(はうげ)して道に向ふ時、さはりなく、所作なくて、心身ながく閑かなり。 --- 第242段 とこしなへに違順(ゐじゆん)に使はるることは、ひとへに苦楽(くらく)のためなり。 楽といふは、好み愛することなり。これを求むること、止む時なし。楽欲(げうよく)する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡と才芸との誉れなり。二つには色欲、三つには味はひなり。よろづの願ひ、この三つにはしかず。 これ、顛倒(てんだう)の相よりおこりて、そこばくの煩ひあり。求めざらんにはしかじ。 --- 第243段 八つになりし年、父に問ひていはく、「仏はいかなるものにか候ふらん」と言ふ。父がいはく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父、また、「仏の教へによりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教へによりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、いかなる仏にか候ひける」と言ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。 「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。 --- 奥書 這両帖吉田兼好法師燕居之日徒然向 暮染筆写情者也頃泉南亡羊処士 箕踞洛之草庵而談李老之虚無 説荘生之自然且以暇日対二三子戯講 焉加之後将書以命於工鏤於梓而付 夫二三子矣越句読清濁以下俾予糾 之予坐好其志忘其醜卒加校訂而已 復恐有其遺逸也   慶長癸丑仲秋日  黄門光広